加古川刑務所で

先週、加古川刑務所へ
特別に見学に寄せていただきました。
交通区って呼ばれるところがあって、
そこは、道路交通法違反の方々が
収容されているとのこと

その場所だけは、建物に簡単な格子しかないんです。
刑務所の塀も、それほど高いものは作られていない
脱獄の前例がないので、
そういう造りをする必要がないんです、
とのこと。
部屋も質素だけど、自分で廊下を通って
トイレへかよったりは出来るんですって。

建物はけっこう面積が広くて、
植樹などもしっかり手入れがされています
落ち葉は少しあっても、ゴミの散乱はない。
私たちの居住まいのほうが、
はっきり言って雑然としています。

それでも、やはり制限のある暮らしは、
不自由で、つらいものと思います。
果たして、どんな人たちなのでしょう。
金型の製作の作業をしている人たちの
前を通りかかりましたが、
みんな顔を伏せていました。
そりゃそうですよね、
見せ物じゃありません。

ここに居られる人たちの幾つかは
自らの不注意や間違いで
他人の生命を奪ってしまった
そんな人も居られます。

そういった人は、10人居たら
10人ともが
毎日、お線香に火をつけ、
仏壇に手を合わせる事を欠かさないとききます。
所内には、供養の思いを込めた写経がありました。
僕はその美しく記された文字を見て、
無様にも泣いてしまいました。

被害に遭われたご遺族の事や、
どのようにしても消えない罪を背負ってしまった思い
どうして、このような事が
起きてしまうんでしょうか
起きずに済んだらよかったのに!

この刑務所も、過剰収容で、
執行中の方をほんの一握りの人手で
管理をしているそうです
もともと、ならずものの集まりで、
日常の作業は50人から100人の人を相手に
指導や監視を行うものですから
大抵やない

看守のひとは
この上、コイズミさんは
公務員を減らすとの事ですから
一体どうなるのか知りませんが、
とぼそっと漏らしていました。

ひとつお願い
刑務所で昨今起きている人権侵害も
ひとつの問題ですが
受刑者や、そこで勤務する人々、
決してひとつの局面だけで見るのでなく
差別偏見をなくして見てあげてほしい、と思います。
社会全体のひとりひとりの問題課題として
捉える必要があると思います。
罪を起こしてしまったのは
たまたま僕じゃなかっただけなんじゃ、
って思う訳です。

それと、
受刑者のみなさんの償おうとする罪、
シャバの私たちの問われざる故に償おうとしない罪
一体どちらが清らかな存在と言えるでしょうか。
私は答えを持ち合わせていません。

写真は刑務所の壁です。


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