Diary200305

2003/5/1
会社の昼休み。
あと6分ばかりで13時のベルだ。

webで中森明菜のインタヴューを見た。
「歌手は不幸な方が良い歌になる」とにこやかに言い切っていた。
ベテラン勢の歌が、成功を収めると途端につまらなくなってしまった、という事が幾つもあったが、
それも一理あるかも知れないと思うのであった。
知り合いのミュージシャンやクリエータたちが、決して順風満帆とは言えない人生をそれでもささやかに送っているのが何故かダブったのだった。

2003/5/2
ここのところの阪神タイガースの快進撃のあってトラキチの皆さんはさぞ機嫌がよかろう。終盤 昨日今日とウイリアムスに清原がねじ伏せられたシーン、巨人ファンの御仁の落胆ぶり・嘆きが伺えると大きなお世話だがかえって気の毒なくらいだ。なんにしても秋まではまだまだ長い。9月21日の東京ドーム 奇しくも阪神・巨人のセットまでである。「今年の阪神はどこかが違う」なんて台詞も一体何年いうとんねん。

 阪神・巨人がやはり特別な意味を持つように思われるのはやはり上方対お江戸で凌ぎを削ってきたニッポンの歴史が背景にあるのでは とオオエは思う。かくし芸大会がかつては西軍・東軍であったのも興味深いが、以前ほどにはないにしろ、やはり西と東は本能的に対峙しながらかつ共存して来ているのである。近代、この国のメーンの機能をお江戸に持って行かれた上方の連中は、やっかみ半分だがやはりお江戸の連中がやっつけられるのは心持ち爽快なんじゃ・・と意地悪く思ってしまうのである。やらし。

 かくいう私は別段読売巨人軍が嫌いなわけでも何でもない。ただ原監督のルックスが生理的にどうも好きになれないだけなのである。

2003/5/3
これから高槻市駅前でライブなのである。暇な人もそうでない人も来てみんしゃい。

定番数々あれどエスビーの「赤缶」の右に出る者はそうそういまい。
流行っているうどん屋の厨房を意地悪く何の気なしにのぞくと必ず赤い缶が見えている。
赤くてまるっこい缶に少し大粒のパウダーが入っている。
ダシをとり、これを入れ、とろみを付ければ「ン、どっかで食べたアジ?」風にたちまちなる。
飽きの来ない味。みんなカレーを喰っていようにみえて、実は赤缶を喰っているのかも知れない。
この赤缶、実は日本初のカレー粉の直系の弟子で、戦後まもなく登場している。我が家はいつも「ジャワカレー」だったが、エスビーのゴールデンカレーは私と同い年。決して侮れないロングセラーなのだ。

社員食堂でもメニューがカレーになると、ご飯を極限まで大盛りにしたり、おかわりに挑む猛者が何時も現れる。数年前の年賀状にも書いたが、ほんとうにカレーの人気が終わるときは、人類が終わるときではないのだろうか、とさえ思うのである。

2003/5/4
 所用で大阪に立ち寄った折りに「なにわ筋」に面したAstor Place Cafeに寄ってきた。京都にもこういったオープンカフェは見かけるが、やはりこういったロケーションには適わないと思う。比較的車の往来がゆったりしていて、公園の緑と木漏れ日があって。店内の中央には滝が流れている。すぐ私たちは「どのようにして水を循環させているのだろう」などとどーでもいいことについて思いを巡らせてしまう。

 日差し溢れる休日の午後でも良いのだが、それより平日の夕方に友人とネクタイ緩めながらカウンターでビールでも飲んでいたい店の雰囲気である。鶴見緑地線の「西大橋駅」が間近である。

2003/5/14
温かいゴールデンウイークのとある日、ひとりのミュージシャンがあの世に旅立ってしまった。
僕よりさらに若い、あまりにも早い突然の死だった。
「ときわ」の美樹さんは、巧いヴォーカル、というよりは素朴な歌で、仲間たちやお客さんからもこよなく愛されていたのである。
辻川とのライブのときも、二度ご一緒したので知っている人も多いはず。
ライブがはねて、その日は「じゃ、また」と挨拶を交わした。
まさか また、がなくなるとは思わなかった。

まさに 亡くなった、というよりは、ふっと消えた、という感じ。
歌だけが、やっぱり生きている、息をして、確かに残っている。
あとは、何か割り切れない気持で、独り言のようなさよならをするしかない。
生命ある私たちにとって この世は仮の住まいでしかないのだよなぁ と思った。
だからこそ、その日その日に、悔いないように過ごさなくてはならないのだ。
合掌。

2003/5/15
幸せになっとこや、な。
折角生きていることなんやから。
うまくやってゆこうや、な。
いろいろあるとはおもうんやけど。

ギター弾いておこうや な。
いつまで続けられるのかわからんけど、
明日辞めても悔いないようにやるだけや。

明日も晴れるかな・・・。


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