Diary200312

2003/12/3

夕餉の支度をしながらBSのABCニュースを見ていた時のこと。
先ほどイランの女性弁護士が初めて
ノーベル平和賞を授与されることが決まったと報じていた。

イスラム体制の下での人権擁護活動が多くの人に受け入れられたのだ。
イスラム社会での民主主義と人権は共存されるというのが
彼女の信条である

イスラム教徒であるシリン・エバディさんの活動は
破壊と暴力の連鎖であるいまの中東の悲劇である
一連の出来事とは一線を画しているが
決して安穏とした道のりではない
生命の危険と常に隣り合わせであるのだ

ABCのインタビューに応えることひとつとっても
彼女の取り組みやメッセージを発信する手立てになると同時に
不特定多数の危険な人たちに彼女の顔を売る事になる
だが、その恐怖さえ本能のひとつであると感じた時
淡々と仕事に打ち込めるようになったのだと彼女は言い切るのである。

その中で 直接な批判でないながらも
イスラム社会での改革は、当事者の手で進められるべきことだと語っていた
目を移せば、イラク復興の名の下で刃に倒れた尊い命の目の前で
世界はいま悲しみに沈んでいる 
もちろんイラクの民衆の被害者の事も忘れてはならない

一日も早く 彼等の信教のもと 各々の国民の総意に基づく
平和な新しい価値観の建設が行われる事を願ってやまない。

2003/12/4

T/Oの活動がなくなって少し経った。

T/Oは私にとって愛娘のような存在だったから、
突然動きが止まったことは受け入れがたい現実だったし、落胆もした。
同時に、音楽とは茶事と同様一期一会と言う事なのだと悟った。
演奏する側も、客席で楽しむ顔ぶれも、今日と同じ事は決してあり得ない。
日常のさりげないさよならが、永久の離別になることだってある。

活動を続けていられる事そのものが、個人のバランスによって支えられている。
とくにDUOという形態は どちらかがかけてしまうと動けなくなる。

あれから、自分自身、自分の非を見つめ続けてきた。
でも 後ろ向きの答えを探すより、生命というものは
あるがままの自分をさらけ出すのに力を注ごうとするものだ。

僕らは、つたなくて、物足りないものだったかも知れないけれど
すべてのものを信じているし、疑念を抱く事すらないのである。
また 活動できる日を心待ちにしているのである。
だから みんなにもその日まで元気で居てほしい。

2003/12/8

 MacOSXが既にメインとなったが、それでもまだ宙ぶらりんの状態である。第一にメーラーが乗り換えられないのである。Eudora-&gtPostino-&gtEudora Pro-&gtクラリスメール-&gtOutlook Expressへとやって来たのであるが、OS9時代のOutlookが無償だったため、後継のアントラージュが有償なのは納得がいかない。OSXにくっついてくる”Mail”(もっと他に呼び名はないのか、オラ)だが、Outlookに慣れた私は非常に機能不足に感じる。あとSweetMailというのもちょっと見ると良さそうだが、Outlookのようにメールアドレスのところに人名を直打するとアドレスを呼んでくれる、という配慮はないし、Outlookのメール取込機能もないに等しい。どれもこれも3,000~5,000くらいで購入できるのだが、絶対的な選択となり得ない、それぞれに何か足りない。

 ブラウザはSafariを使っている。軽快に使える、のは良いのだが平気で文字化けする。再読込を数回行うとちゃんと表示できるのだが、シビアな要求を求められる場所ではどうもこのブラウザを敬遠する雰囲気が漂っているのだ。GoliveもすでにOSX対応がなされているので乗り換えるのだが、Photoshopは二の足を踏んでいる。スペックは現在持っている5.0程度で十分だし、Elementsでも事が足りるのだが、Elementsの製品価格も、Photoshopのアップグレード価格もさほど驚くほどの開きでもないんだけどなぁ。双方足すと3万8千円か。iPodはひとつやすい方にしておけばよかった。

 EPSONのPM770Cも酷使したおかげでかなり振動が酷くなった。キイキイいって耳障りなのだが、死んでも油は差してくれるな、とのお達しだから我慢している。OSXでもドライバは対応してくれているが、なにやら使いにくくなった。

 そんなわけで、こんな事が暫く続くのである。パソコンを触りだすと、幾ら時間があっても足りないのである。日々、自分で自分のパソコンのサポートを担当しているようなものだ。

2003/12/14

フルフェイスのヘルメットのとめ具が効かなくなった。
スルスルと抜けるので「やばっ」と思って
バンドの練習の後コーナンに買いにいった。
コーナンに着いてからストーブも買い替えようと思っていたのに気がついた。
毎度の段取りの悪さといったらない。

昼時だし、自分の作るものにも飽きたので
滝ノ町にある「ラーメン一大事」へ寄って帰った。
このラーメン屋、実家に居た頃に 大学の近所の
馬代丸太町にあって、それから長岡京市へ移ってきたのである。
その名前の奇妙さも手伝って、警戒していたため
一度も寄った事がなかった。

ニンニクラーメンがウリなのだそうだ。
店の敷地は三角形であり、店の前に立っただけでは
ちょっと間取りが分からない。
三角形の頂点に当たる部分のちょっと横に入り口がある。
カウンターがあって、その中に厨房があって、
という間取りでは決してない。
不思議なL字の空間のはじっこに
申し訳程度の調理場がある。
店の営業時間は11:30-11:30と
随所に記してあったが
これでは24時間営業だな(笑)
人のよさそうな親爺さんが一人でやっている。

ニンニクのそれは香り良く炒められた
野菜ラーメンの上に刻んだにんにくが乗っている
頼めば炒めてくれるそうだ。
ビールものは生ビール、瓶ビール、発泡酒というふうに分けられていた。

この辺りはこれといって何もない土地なのだが、
クリーニングや、医者、ラーメン屋だけは数多くあるのだ。
ここの外にも「まるめん」や「よってこや」が暖簾を出している。

2003/12/30
またもやラーメンなのである。
向日市の住宅街にぽつんとある「さっちゃん」
初め夜に車で出かけたときは、ついに発見できなかったが、
改めて昼間バイクで行ったら、なるほど。
大丈夫か、と思うくらい。
店の情報が事前になければ多分警戒して絶対入らないような佇まいで
お店のドアというよりは倉庫のサッシみたいな入り口である。
決して綺麗と言えない店の雰囲気だが
ラーメンはシンプルな醤油味で
麺も美味しかった。
焼飯も頂戴したが程よい味付けである。
店内にはたったこれだけの間取りの店で、
驚くくらいの品揃えである。
定食も豊富にある。

店の前で男の子がキャッチボールをしていて
グローブに球が滑り込む
スパンスパンという切れの良い音だけが響き渡っていた。
師走の静かな昼下がり。
今年ももうおしまいである。

2003/12/31
もう数分で今年も終わりくさるのであった。
この1年に感謝を。
陰陽がこの1年に詰まっている。
この世は終わる事の無いHello Goodbyeだ。
しみじみ思いながら一人迎える新年である。