Diary1999


【99/11/20】

電車通勤を初めてもうすぐ二月ほど経つがどうしてなかなか悪い気はしていない。一見無駄なこのちょっとした時間が一日のアクセントとなっている。

たとえばまだまだルーズソックスは健在であるとか、やはり中年男性は体臭がすごいとか、沿線の緑はこの季節どうであるとか。そういった認識を改めるのに一役買っている。

先日庭の枯れ葉を精を出して片づけていたところ隣の奥さんが挨拶がてら声を掛けてくれた。「それほど根を詰めなくても、見ているうちにまだまだ枯れ葉は溜まります。このサクラの木がすっかり葉を落とすまで・・ですからそれほど気になさらずに」

なるほど、あるがままを受け入れる心も時には必要。それを機会に私自身不思議に久しぶりにゆっくり時間を過ごす余裕が生まれてきている。


【99/11/10】

帰りの電車にゆられていると、向かいの席にいた若造が携帯電話をとってなにやら喋り始めた。どうやら音楽をやっているらしい。察するところ、バンドのメンバー募集の掲示を見てかけて来た相手(京都には十字屋という楽器やがあって、そこにメンバー募集の張り紙が無数に掲示されているのだ。それとちゃうか?)とやりとり中・・そんな気配だ。

「あの・・ヴィジュアルというか、・・僕らは髪の毛立ててるんですけど、イヤだったらそれはそれでそういったやり方とかあるんで、別に構わないですよ」それを聞いて僕は彼の頭髪を確認した。あの髪の毛を逆立てている連中は、日常から逆立っている訳ではないのだ。

その後やりとりは続いた。電話の相手は、ちゃんとしたデモテープはないのか、と聞いているようだ。その内容がさらに気になったが下車駅に到着したので気になったまま僕は降りてしまった。

逆立てたり、固めたり。彼らの老後には毛髪は健在だろうか?いらぬお世話か・・。


【99/11/9】

12月5日(日)午後1時は京都駅大階段・室町小路に集合!寒風の中鼻水を垂れながらギターを弾いている大江さんを目撃できるに違いありません。

京に和菓子の類は数々ありますが、私が進物品として特に重宝している松屋常盤さんの「味噌松風」についてお話しします。松屋さんは京都御所より南 中京の閑静な住宅街の中にある、とても地味なお菓子屋さんです。店の名前を記した小さな看板があるだけで、あとは暖簾がかかっているだけ、私も会社のおつかいで行ったときになんども前を通り過ぎてしまいました。味噌松風は白味噌の焼き菓子で、和風かすていらというか、素朴な味わいで、特に日持ちのする事から重宝されています。日々、事前に注文を受けた分しか作らないので予約が必要です。堺町丸太町下ル 電話番号は075-231-2884です。価格は800円から。

ついでといってはなんですが、生麩の中にこしあんが入っていて、柿の葉でくるんだ「ふ饅頭」というのも存在します。これでまっさきに思い出すのは「麩嘉(ふうか)」さんのふ饅頭でありまして、こちらは日持ちはしませんが、京都観光の帰りにささっ、と買って帰るのは如何でしょうか。五個入り 1.000円(税別)錦の麩嘉さんは075-221-4533で、こちらも事前にお問い合わせされたほうがいいと思います。

ということで、京都にはまだまだ渋いものがたくさんあります。機会があったらまた今度。


【99/11/6】

いまだに蚊が飛んでいる。向日市はさういふ土地柄なのだらふか?

今日はゆっくり家の用事で一日確保したので朝から懸案の溝掃除やらなんやかんやをして過ごした。夕方、濡れ縁に柿渋なんぞを塗布していると、庭の向こうから隣家のお爺さんが声を掛けてきた。私の家とその隣家には塀だの垣根だの余計なものはなく、自由に行き来できるようになっている。隣家の庭にはサクラの木があって、ほどよく自然に育てられた草花とともに気持ちの良い緑を醸し出している。少しすると彼はお盆に二客のコーヒーカップを乗せて現れた。

それから私たちは日没までコーヒーを啜りながら語り合ったのだ。・・私自身この隣家との距離感がとても気に入っている。丹波の京北町などに住んでいる人は家にカギを掛ける習慣がないそうだ。理由は町内既に誰もが顔見知りのため、不審者はいっぺんに目についてしまうから・・だそうである。そういえば何時か訪れた丹後の間人の町も殆どの家が塀がなく、通りから家の中の暮らしが直ぐに見渡せてしまう構造になっていた。そういった環境が絶対的に良いのだ、とは言わないが・・「遠くの親戚より近くの他人」とはまさにこのことを言うのではないか・・心地よく閉じられた風のいまのニッポンの家はある側面では見知らぬ他人を生産しているようなもの・・という気がするのである。


【99/11/4】

久々に先日兄の家にお邪魔するとラジカセからうただの歌が流れていた。聞くところによるとCDの主はこの春からランドセル背負って学校に通っている一年生の姪っ子らしいぜ。オドロキ桃の木21世紀というか、なんちゅうか、本中華。いわゆるニッポンの流行歌になかった・・ちょっと前まではブラコンなんちゅうていってたサウンドが日本のお茶の間に雪崩こみ攻め入りつつある。うただはやはり名実ともにお茶の間タレントの座を射止めたというほかない。ひかるといえば西田といえば二死満塁、やはりうただなのだ。わっかるかなぁ~、わっかんねぇだろうなぁ。

ちなみに彼女のもうひとつのお気に入りはざーどらしい。このマセガキとしばいてはいけない。私はこの頃はトランジスタラジオに頬寄せて井上陽水やらりりぃを聞いていたし、山口ももえちゃんに至っては「いけない娘だと噂されてもイイ」と無知なオトナたちを挑発していたのだから。歌の歴史というのはいわばセックスの歴史である。マーク・ボランよ永遠に。


【99/10/28】

寒くなったし、今晩はちょっとだけ来客があるので石油ストーブを出した。引っ越しの時オヤジが「いいからこれを持ってけ」と無理矢理おしつけられたパーフェクションという舶来のメーカーの円筒型?のものだ。海の向こうでは馬小屋を暖めるために使っているそうで(灯油が安いからではないか)なんともそれらしい雰囲気が漂う。カラーも黄色と若草色を混ぜたような不思議な色である。やがてストーブ独特のニオイが放たれた。どうも芯がうまくあがらないので火が格好良くなかったが、客人の帰るころにはほんのり吹き抜けの部屋が暖かくすこしウレシイ気持ちになったのだ。


【99/10/26】

引っ越しから一月になろうかという朝、突如として酷い下痢が始まった。腹痛はないのだが、理由が釈然としない。身体がだるく、身動きがとれない。なんとか仕事はこなして晩は帰ってきたらとるものもとりあえず横になった。それでも日曜になるとなんとか復調の兆しが現れた。夜には友人がワインを持って訪れたのでいろいろな食べ物も進んで口にして、程良い酔い加減で横になったがそれは明けて次の日、また元通りの状態になった。会社は今日のところは、と思ったがお腹を通している事意外はそれほど辛苦もないので、ここは勇気を出して会社に行き、それで帰りに最寄りの駅近くの内科に寄った。財布には3.300円しかなかったが、3.280円を請求され、財布の中身を全部出して、20円を小銭入れに投げ込んでしょんぼり帰った。血液と尿の検査結果が出るにはすこしの時間が必要だが、季節の変わり目に体調を崩すひとは多いという。その実、私自身、正直な話、疲れていた。

下品な話で恐縮だが、先ほど調子のいいおならがでてほっとした。昔大正天皇が大きな手術を終えてやっと放屁をしたとき国民は一同安堵したという。男ひとり、極あたりまえに喋ったり、飛んだり、はねたり、走ったり、仕事したり、食べたり。それがどんなにありがたいことかしみじみと思うのである。


【99/10/12】

下の書き込みから数日に渡って引っ越しをして、それからは電話回線のトラブルで新しい場所で10日あまりもメールの吸い取りが出来なくなってしまったりしていた。いまやっとこさ、落ち着いてこれを書いているところである。話せばまたまた長くなってしまうので、ぼちぼちということにしておいてくれ。さてと。


【99/9/22】

もう午前1時。そろそろ部屋を片づけて寝ないと・・。1年8ヶ月という長きに渡ったマンション暮らしもついに終焉を迎えることに相成った。いま半分ガランとした部屋でキーを叩いている。マンションの壁はいつしか無機質な段ボール箱のそれにとって代わりつつある。未だに少し信じられない。でも時間というものは実は・・それは公衆電話に落ちるコインのように・・温存するためでなく必然的に費やすために存在することを教えられるのである。


【99/9/15】

恋なんぞというものは謀れはしても計り知れないものであります。幾度と無く好きな男の前で女性ホルモンを盛んに分泌させているオンナノコを目撃しては、女というものは、不思議なものだとつくづく思います。私の眼球がいびつになっているのか、それとも頭がぼうっとしているだけなのかというのもよく分かりませんが、大概のオンナノコにはそういった特別のモードというものが予め用意されているのではないでしょうか。ときには「傍目」とか「羞恥」とかにもあっさり別れを告げて、本能のままに歩んでいってしまうことさえあります。そういったことが、男の側には有り難い場合と、そうでない場合がありますが、まぁ、いくつかの注意が必要でしょう。

すべてのオンナノコがそうだとは論じるつもりも根拠もありませんが、総じて女の子は時に一途で「すとれーと・あへっど」な生き物である・・と私は思っています。太平洋戦争において上空のB29を竹槍で撃墜したのも過去のニッポンのご婦人でありましたよね?

「私たち、今更結婚なんてね・・」と彼氏との間柄についてため息をついていたオンナノコが嬉々として突如結婚の報告をしにやってくるの未だに驚きをもって見ている今日この頃でした。まる。


【99/9/7】

いやぁ、めでたい、めでたい。ホームページ三周年。閑古鳥が鳴くのをしかりつつも、10.000アクセス、この更新しないウエッブに、いやぁ、みなさん、有り難う。まったく「僕のホームページをみてちょうだい」という趣向は、大概「誰がそんなもん見るかっ!」なのであって、いやホント、僕だったら見ませんね、第一、野郎のウエッブなんてね、有り難くないでしょ、なのに、ほんと感謝感謝。なんとかね、ホントは全部ぶっこわして作り直したい。でも一からつくる時間も気合いも体力もない。だからごめんなさい。また来てね、というだけ。おおえさん、結婚まだ?しゃらっぷ。でももういいかげんくたびれた。正直な気持ち。最低限いまは家の引っ越しが片づかないと。そんなわけで、2000年目指して、オンライン、オフラインともどもおーえ御殿をお楽しみに。こうご期待。かしこ。草々。Just so so。


【99/9/6】

槇原が捕まった。否、読売巨人軍にいるせんだみつお似の選手の事ではない。マッキーだ。会社で事務用品の発注をしているせいか、マヂックをついつい連想してしまうが、それも違う。ハーイ、どう感じましたか、そこのあなたっ。損失は10億とも20億ともいわれているから驚きだ。やはりミュージシャンの世界は新世界の如く抜きんでた一部の人が特別の塔に住まうかのようでそれはバブル期の住友銀行の行員の給料を連想する。なんのこっちゃよう分らんのだが、さぞファンの人はガッカリしたろうなぁ。4.000 円相当の覚醒剤で10億が不意になるのだからまさに損、割に合わない話なのでこれをごらんの著名ミュージシャンは慎むように。しかもゴシップ好きのあたしらはよせばいいのに想像しちゃう、「たまたまバレたのだ」要するに氷山の一角、そういえばナチュラルでハイな方居ますよね。

それにしても、売れる、アタる、ということがどういうことなのか分かってない、と言われてもしょうがない。売り上げが伸びるということは、すなわちミュージシャンが社会の一員としての責任も増大するということなのだ。話はカタイがビジネスが巨大化するにつれ、真剣に関わってくれるクルーも人数が増え、ファンの期待も次第に大きくなる。そこではその巨大なシステムの中の機軸としてどういう役割を果たすかでしかない。幸い芸能界はチャンスさえあればドロップアウトしたものでも拾ってくれる。それは群衆がアマいのではなく、更正することに支援をしてくれる社会がシステムとして成り立っているからである。だから奢らず心してかかって頂きたいのだ。


【99/9/2】

ガオー!9月だ。このホームページも3周年だ。積み重ね、積み重ねで、とにかく当人も把握していないくらい肥大化してしまった。更新しても、はて、どこが更新になったのかよく分からないくらいだから厄介者だ。そして、ついに、ついに、この御池パラダイスからサヨナラの日が間近だ。でも、ひとりぼっちで移り住むとはこれまた思わなかった。人生が二度あれば、は陽水の歌だが、ニドもクリープもいらない。9月には帰らない。セプテンバー、9月の雨、船を出すのなら九月、と九月の歌はいろいろあったが、ようするにタダでは帰さないのが9月なのだ。先日土地取得税がやってきて、おれの預金の残高をかっさらってゆきやがった!ちきしょう、血反吐を吐いて死んでやる!

・・誰一人僕が酔っているのには気が付かないだろう。


【99/8/19】

なんか家に帰ってめしを作って喰って片づけて洗濯をしているうちになんとなく午前1時になっていたから驚いた。今晩はなんだったのだろう。クヤシ-。社員旅行で12月に上海に2泊3日につれていって貰えるそうだ。パスポートが切れているので申請用の写真を取るのだが、デジカメでセルフタイマーで撮影したのを出してみようと思うがうまくゆくだろうか…。

(結局手間なのでやめた)


【99/8/16】

どうしてこうACアダプターというやつは邪魔なんだろう。電化製品を買うたびに、ご丁寧にくっついてきやがる。大きさも、規格も、ジャックの形状もまるで違う。つねづね使うとも限らないが、それでいて全く使わないとも限らない。コンセントタップに接続するのでもばかでかく場所をとる。そのくせコードが貧弱だから、知らぬ間に結ばれてたんこぶのようになっている。ひとつのアダプタをひっぱると、まるでむかしの駄菓子屋のあめ玉よろしく4つ、5つと付いてくる。しかも熱い!頑張って使うたびに片づけてはいるが、さて、デモテープの制作だなんだになると、たちまち上図のようになる。ミディ音源、携帯の充電器、パソコンのサイドスピーカー、MDプレイヤーの充電用、はたまた、「テプラ」のやら、ナニやらでめちゃくちゃだ。多分勘定してみると30個ほどはあると思う。電化製品おたくというわけではないが、ナニよりもオーディオとパソコンと音楽関係のものと三段構えになっているのが原因だと思う。

まだ、ステレオならジャックはステレオピンジャックかデジタルのケーブルかと相場はきまっている。なんとかならぬか。いっそ、電源関係をひとつにまとめて巨大なラックにしてはという笑えない提案まで聞こえてきそうだが。


【99/8/5】

過日、日本ユニセフから募金についての資料が来ていた。iMacを買ったときに、日経MACが三ヶ月間無料提供されるが、その名簿に基づいて日経BP社から送られたものである。募金の類には縁がない人なのであるが、ここは考えて、人件費、通信費、広告費を計算して、500円だけ郵便振替(これは受取人負担だから70円かかっているはず)で送金することにした。

・・その事で500円の領収書がわざわざ送られてきたのだった。

http://www.unicef.or.jp


【99/8/4】

ニュースで「遺伝子組み替え食品」の表示をどの程度義務づけるか、その指針が決まったとの内容で報じられていた。結果、たとえば大豆については、大豆そのものについては表示が義務づけられるが、加工したものはその加工の過程で遺伝子構造が損なわれるので問題なしとして、義務なしと定められたという。さて。

大江、思うに、結局、文句いうのは、「遺伝子組替食品」と表示されたがために、消費者が敬遠すると困る、立場の人であって、私たちにとっては「消費者が敬遠しちゃったら困っちゃうから、そんなもんは目隠ししといてくれ」というめちゃくちゃな主張に見て取れる。情報を公開するかしないか、と遺伝子組み替え食品が安全か、どうかの基準は飽くまで別の問題とか、動機であって、食品を提供する側は、たとえば「遺伝子食品」を明らかにした上で、飽くまで科学的に、実証に基づいて、安全性を主張すればよい。その証拠がないならば、そんなシロモノは提供すべきではないのだ。

企業は(生産者は)おのおのの努力で、情報を公開し、提供する。それ自体の価値が問われる時代だ。たとえ行政が、国が、表示義務を課していなくとも、進んで、私たちに語りかけ、良品を提供する事を続けて行かなくては、社会に寄与するという企業の本来の目的は達成されないのではないか。


【99/7/19】

今日は雨。会社の近くでいつも僕はビールを買って帰る。否、やりくりジョーズのおーえさんはビールぢゃなくていつもの「淡麗」¥150-だ。ガチャンとおちた淡麗君を取り出しながら、ハタとシャンプーがなくなっていたことを思い出した。早速向かいの薬局でメリットシャンプーを買う。メリットがいいのだ。ふけも、かゆみも止まるのだ。メリットのおかげでふけしらずだ。エコロジストのおーえさんはポンプ容器なしの袋詰めタイプをご指名。しかもやりくりジョーズのおーえさんは袋詰めタイプが150円安いことを知っている。差額で淡麗君が買えるのだ。エコロジストのおーえさんはすでに三回ポンプつきの容器の中身を入れ替えている。帰ってさっそくカラになっている容器にメリットを入れることにする。きりこみの入っている部分から口をきり、説明に書いてあるとおり逆さにして容器の口に流し込む。待つこと数分・・変化がないことに気がついてよく確認してみると切り取り線に従って切ったのにシャンプーがほとんど流れ出ていない。でもエコロジストのおーえさんはくじけない。気を取り直し、口を切り直すと勢いよく流れ出た。お陰でほとんどのシャンプーは安住の地にたどり着いたのだ。しかしエコロジストのおーえさんはこのままではすまさない。まだ袋のなかに絞り切れていない分があるはずだ。これはシャワーの時に絞って直接頭にかけるべし。さてシャワーのときにかねて用意の袋を絞ったのだが、うっかりして、見当ちがいに乳白色の液体を飛散させてしまった。まるで…..いうまい。というわけで飽くなきエコロジストの戦いは続くのであった。

ここまで来て私のエコロジストとしての胡散臭さが感じ取っていただけたと思う。合掌。


【99/7/14】

洗濯。

勢いよくでる水道のおかげで。

ぐるぐるとかき混ぜる洗濯機のおかげで。

泡立てて汚れ落とす洗剤のおかげで。

僕はまた新しい気持ちで下着やシャツを着ることができるのだ。

水道から綺麗なみずが出なくなったとき

洗濯機が動かなくなったとき

洗剤が泡立たなくなったとき

そいつが想像できずに当たり前になったとき

僕はひとりずつ人を裏切り始めるに違いない。

と、下着を干すときに思うのである。


【99/7/3】

坂本龍一の「未来派野郎」という作品に収められていた「Ballet Mecanique」という曲が今でもよく耳にすることがある。つい先日もカヴァーされていたのだが、もともとは自殺を遂げたアイドル歌手岡田有希子の遺作に収められていた「Wonder trip Lover」という曲だと記憶している。(作詞は松田聖子)坂本龍一のテイクでは鈴木賢司の超高速ギターが暴れ回っているのだが。

私個人としては最近80年代の音楽シーンの中途半端に成熟した状態がいまとなっては新鮮に映るのであります。


【99/7/1】

今年も半分が終わっちゃった。さて、とふと我にかえると部屋はめちゃくちゃ。

文句なしに晴天の日は気持ちがいいけど、微妙に雲のある日はその陰と陽が露わになって魅力的なのだ。曇天のほうが実は写真が撮りやすいのように、翳りこそが実は大切であると思う。というわけで下り坂にさしかかった辺りの女の子が実はいちばん綺麗なのであるよ、とテレビを見ながら思う今日この頃でした。


【99/6/29】

あー、やだやだ。こんな自分とあと数十年も付き合わなければならないなんて。

またまたHEY HEY HEYネタで恐縮だが、森高千里が出演していてダウンタウンと今回の「できちゃった婚」の話題で盛り上がっていた。浜田の「千里ちゃんは生だったのか」という問いに応えて一同爆笑の後に「やっぱり早く欲しかったから・・」というので僕は「何をじゃ」と思いつつテレビに釘付けになった。=子供だ。彼女の今度の曲はスガシカオ(詞は彼女自身)のペンによるものである。その歌詞の最後には「早く奪って欲しい」というふうに綴られている。その素直な思いのたけを言葉に託してきた彼女だけにその一行に重みがある。「生」であったその最中に「生」であることを心から受け入れて良しとしたその思いこそが愛なのである。よーするに「中だししてもいーよ?。」というそれである。

今夜は長い夜になりそうだ。・・思えば私を愛してくれた女の子たちも純粋な子たちばかりで、不義理をしたのはすべて僕の責任なのだ。でもその子たちに出会ったことを今でも誇りに思っている。


【99/6/28】

12 時近くなって洗濯を始めた。クローゼットには未だに行き場のない冬物のジャンパーが幅を利かせている。とにかくこれを出さなければ、部屋中につられているシャツの行き場がない。僕はそれを畳み始めたのだ。ついでにコールテンのシャツも。見るからに暑い…。見る見るうちに大きな塊が出来上がった。クローゼットはすっきりして夏物のシャツも吊れたが、今度は黒い塊の行き場が無くなった。とりあえず紙袋につめて洗濯機の上の空間にねじ込んだが・・


【99/6/22】

昨日のHEY HEY HEYで宇多田ヒカルが出ていたのを君は見たか?突然登場した彼女を見て、観客の女の子たちは、見る見るうちに「かわいー」を連発して直ぐに溶けてしまったのだが、僕自身テレビに釘付けになった。まるっこい顔に愛らしいくりくりとした眼。黒人のグルーブ感をいたずらに誇張することなく(多くの日本人が今までそうだったのだ)わたしたちの培った旋律とナチュラルに融合させてしまった彼女自身が超日常であり、さらに唯一(ユニーク)であったのが支持された理由だと思う。ルーファスで歌い始めたかつてのチャカ・カーンがとても若くて愛らしかったのを想起させるが、その後のチャカのように(ただのこゆいおばちゃんに)なってしまわないことを祈る。いや、チャカしているのではない。


【99/6/21】

ここのところ(個人的に)忙しくて、トランス状態で毎日を送ってきて、収束に向かったとたん気がゆるんで風邪をひいてしまった。でもって、とにかくいくら寝ても寝たりないくらいの状態である。時間からすればもうすぐ晩ご飯の時間なのだが、とりあえず買ってきたものを冷蔵庫にぶちこんで寝ることにする。あまり寝ていると自分がこのまま腐って土に帰り、しまいには砂となって風の中に吹き飛んでしまうのではないかとさえ思ってしまう。・・腰が痛い。腰が痛いというと「使いすぎか」と誰かがおきまりのように発言するところなのだが、さにあらず、どうも内臓のやつまでが音を上げているようだ。ああ、休もう。

・・ATOK12を試用しての感想。「郷ひろみ」が変換できなかったのでがっかりだ。


【99/6/14】

篠原ともえのCDを借りてきた。濃いライター陣の曲をあっけらかんと乗っ取ってしまうキャラクターはやはりただものではない。1曲目はムーンライダースの岡田氏とボアダムスのギターリスト山本陽一大先生のペンによるものだ。わたしは山本先生にアマリリスのアリスさんを介して高石ともやとナターシャセブンのテープをダビングするように頼まれたことがある。そのころはボアダムスもよく分からなかったからとるものもとりあえずダビングして渡したのだが、今でも持っているだろうか。篠原のアルバムの中には少年ナイフの直子さんの曲も入っている。ナイフの曲はメロディーがわかりやすくて、ポップでかわいいので好きだが、いかがなものか。この曲でベースを弾いているのは柴田君といって、僕の年賀状の写真を撮ってくれている(self introductionの項参照)カメラマンの柴田 明君の実兄で、アマリリスの全盛期のギターリストである。


【99/4/25】

リーバイスのカラージーンズのCMを見たか?ナイスバディ(死語か?)の外人のおねえちゃんが街を闊歩するやつだ。カラージーンズとは、それほど馴染みがないが、例の青いやつか、精々冬場とかに履く黒いカラーのやつか、直ぐ汚れちゃうベージュ(?)のやつが関の山だったけど。どんなものか、今度見てみるか….とかなんとか思いながら同じリーバイスの#606を洗濯していると、洗濯機で景気良く回したせいか膝のほころびが拡大していた。またそろそろ新しいのが必要かな。ちなみに今の#606は二代目である。

初代は18歳の時にかったやつでついに膝がつぶれてどうしようもなくなったので諦めてジーンズショップ「三信衣料」(京都のジーンズ屋では老舗。私も20年の付き合い)へ履いていって「これと同じ奴くれ~、レッテル、すり切れてどこのかわからへんねん」というと、ささっと出してきてくれて嬉しかった。丁度discount中で7.000円もしなかった。

※606はその後製造中止になったとジーンズショップの兄さんに聞いた。ショックだ。


【99/4/4】

ユーゴでの出来事は、なんともはや、シアワセの光の見えてこない事だろう。ドロドロの油に火を注ぎ、またそれを覆い隠すように油を注ぐ繰り返しと、その炎の中に浮かぶのは憎悪と、不幸と、嘆きと、傷ついた人達と。ブラウン管には疲れ切った年老いた人達と、呆然とした子供の顔ばかりだ。いったいどうしたらいいのだろう。あなたは日本の子供達に「どうしてこういうことになったのか」と説明できるだろうか。僕は自信がなさすぎる。

必要悪としての戦争なんてない。必要悪としての軍事なんてなくて、戦争は戦争で、軍事は軍事だ。誰もがみな戦犯なのだ。


【99/3/14】

あのですね、今日はホワイトデーを記念してオナニーの話しです。

随分アメリカと言う国は対外受精についておおらかというか考えのすすんだ国というか、はたまたポリシーが不気味なくらいはっきりしすぎているというか…きわめてIQの高いヒト(エリートばかり)ばかりから精子を提供してもらっている精子バンクというのが存在するらしい。この精子からだと、子供もきわめて優秀なものができるというが。こいつが可成りの高値で売買されているのだ。そこまでして欲しいのか?と思うがそれは米国なりのドライな感性のたまものだろう。

さてさて、日本でこういう商売がなりたつとしたらどうだろう?「ゆくゆくは相撲取りに育てたいんです」「では若の花のはいかがですか」「末はミュージシャンに・・」「つんくさんのがあります」

日本はそれほどやり方としては一般化していない対外受精だが、それにしても優秀なひと?は精子だって売り物になる、あんなタダでつくって、いつもはティッシュにつつんでポイポイすてているやつ。世間の男はあれをみて、自分のものについて考えるのに違いない。「おれのって、なんぼ!?」


【99/3/12】

晩飯を食べながら「ミュージックステーション」を見た。CHAGE&ASKAは久しぶりだが、「どうしたのだろう」というような曲だった。本当に当人達はノっているのか首を傾げたくなるような曲だが、ようするに電気が来ないのだ。ファンの人が見たら怒るようなことを書くのだが、さにあらず、ファンとて、アーチストを案じて、だめな曲はだめと喝破してこそ真のファンだと思うので、気にせずに書いておく。真のカスタマーサービスが問われている時代、この動向はミュージックシーンにも適用できないか。

最後に、極簡単に紹介された森高千里の曲がよかった。ギミックなし。イヴェント性もないが、歌詞が、曲がさりげなく光っている。声が、グルーブの上にホイップクリームのようにふわっとのっかっている。地味なワンピースの衣装も、添え物のギターソロも、馴染んでいる。妙に耳に残った。

「ダンゴ三兄弟」がスポットライトを浴びている。勝因は「話題性」だろう。現在のミュージックシーンに真の「国民的スター」はいない。スターの座はダンゴに盗まれたのだ。幼子から年寄りまで口ずさめる流行歌が、いまいったいいくつある?巨大な音楽マーケットで、膨大な制作費・広告費が投じられる、商売ベースの音楽だけが、特化してゆく。購買力のある層だけにアプローチすることで、膨大な横並びの列が出来上がってゆくのだ。

おっと、そういえば冒頭のTOKIOの演奏だが、シェイカーを振っている人物がいないのに音がしていたのはなぜだろう(笑)。


【99/3/7】

ひさしぶりに何の予定もない雨の休日なので、マイルームでカンヅメで曲作りを、と企んだのだが、ものの見事に何も浮かばない。何も出ないときは何も作らぬ、という度胸があればさっさと余所の方に目も向くのだが、あまりにも長いこと何もしていないために、果たして復帰できるのか些か不安になってきた。ついに中断して、雨にもかかわらず、外に買い物に出かける事にした。パソコンで打ち出せるMDのレッテルが欲しいのと、晩のおかずが必要なのだ。それと久しぶりに生活雑貨の類も見たい。


【99/3/5】

昨日のNHK「課外授業ようこそ先輩」で稲本正氏(木工芸家)が出ていた。タイトルは「森と遊ぶ、木に学ぶ」著名人が母校に帰って、そこの児童に課外授業を行う、という趣向で、毎回、音楽家、シナリオライター、映画監督、芸術家などがそれぞれの分野で課題を課すのだが、今回は小学生にほんものの家具を作って貰うというものだった。子供達が苦心と大騒ぎの末、組み上げたのは「100年ベンチ」名前の意味は木は百年掛かって育ち、後は百年の間役目を果たすもの、という思いだが、いまこそ木の美しさと素朴さがもういちど見直される時に来ている。そういったものは、そういったものに触れあう気持ちがなかったら、知らず知らず自分自身が遠ざかってしまう物だと思う。


【99/3/3】

「サマータイムになったらどうなるのかねえ」「日本中の時計を一時間進めるのだから、まぁ大変だね、いったいどれだけの人手がかかるのか」「たとえば」「鉄道施設の中にある時計とか」「なるほど」「パソコンの時計も」「あれはOSに組み込まれているものに、予め夏時間の機能を組み込んだものがあるね」「これから”夏時間対応”のオーディオタイマーとか、ビデオが出てくるんだぜ、きっと」「それで買い換えを促進させるとか」「そう、だから気を付けないと」「職場では?」「夏時間実施前の前日には、総務担当が残業して、職場の時計を一時間進めて回る。チャイムやら、タイムレコーダーやら…」「ガハハ」「体内時計とかも微妙に狂っちゃうひとが出てきたり」「なるほど」

僕が心配性であるだけの問題かな?


【99/3/2】

3月になったら途端にこの陽気だ。3月月末の気温とかいっている。この季節、居眠りが心地よいのだ。そういうやつに限って思い出したように風邪をひくのだが。

3/1 付読売新聞のコピーが職場で回覧されてきた。テーマは「京都企業元気の秘密」京都には近年、平成大不況も何処吹く風の優良ベンチャー企業群が育ってきた。ローム、日本電産、村田製作所などがそれである。その中で、自分が、以前より気になっているのが、高度な半導体技術を持つ「ローム」だ。

実は、最近、この会社から喫煙コーナーが消えたそうだ。無菌状態のクリーンルームで作業をする職場での緊張感をオフィスにも、という発想だと思う。お陰で不浄な吸殻の始末もなくなり、空気は更に浄化されたはずである。職場環境とは・・あたえられるものではなく、一人一人が関与して整えるものである。その為には個々の努力と、意志が必要なのだ。大企業の保養所などの福利厚生の施設が、経費削減で第一のターゲットとなっているのを横目で見ながら、元気な企業の快進撃は続く。


【99/2/28】

一人暮らし、オトコ30代、梅酒にはハマらないが、私はプリンやヨーグルトやゼリーの類が好きなので、こっそり買って冷蔵庫に忍ばせてある。なかでも他人にすすめているのは明治の「ヨード卵 光のおいしいプリン」だ。なかなか美味しい。プッチンプリンなんてめじゃないぜ。3つで183円くらいだから、決して贅沢じゃないだろう。

静かな休日。いまのところ自分のかけがえのない財産。春が来る一歩手前の季節が一番いいと思いませんか。


【99/2/24】

職場で地域振興券の取り扱いについてテナントに問い合わせの電話をかけた。地域振興券を取り扱うためには行政に登録の手続きをとった上で指定金融機関で決済をしてもらう仕組みになっている。

「地域振興券についてどういうふうに考えているか」という内容の問いをしたところ、テナントの責任者たる女性は、「それは何のことですか」という受け答えをした。困惑した私は、経済活性のための一つの取り組みとして国が決めたことのあることで、一定の条件に当てはまるお年寄りや子供に一律二万円の商品券が支給されること等を説明した。「テレビとか見ないの?」と聞いたところ、「私テレビは見ないんです」という返事。

テレビが全てとは思わないし、テレビに首をつっこんでそれが世界の全てに錯覚してしまうのは決して良くないことだとは思う。がしかし、情報は得ない、と断言されてしまっているようでとても寒い思いがする。少なくとも社会に出て、社会の仕組みや働きによって所得を得ている以上、ちゃんと勝負すべき問題だと思うが。誰だって、分からないこと、知らないことだらけだが、それだけに調べたり、学んだりする努力は怠ってはならないのである。


【99/2/23】

うーん、草臥れた。「くたびれる」とはこう書くのだ。知らなかった。


【99/2/22】

ちなみに、USB/SCSIの変換ケーブルはuSCSIという製品が発売予定、エプソンのデジカメからの接続はkeyspan社のUSB/シリアル変換ケーブル(プリンタへも接続できるが、動作する機種が限られている)が¥15.800で発売されている。


【99/2/21】

19 日に東京・幕張でのマックワールド・エキスポに行って来た。入り口に一番近いアップルのブースには通路の両側に例のカラーのimacがズラリと並べられ、来場者の人気を集めていた。会場のデモンストレーションにも実に多数のimacが使われており、従来のベージュのモデルはすでにアップルの眼中にないと見た。

そんな変革も、従来のユーザにはアップルの気まぐれな寝返りとしか思えない。ちまちまと買い揃えたSCSI機器がどうしても利用しにくいのだ。いま実はやはり、ふたつのマックを立ち上げる手間に辟易としているところだ。


【99/2/15】

14 日の「発掘!あるある大事典」で整理整頓について取り上げていた。それによると整理整頓のポイントは「優先順位をつけること」と「捨てる努力を怠らない」との事だった。以前に実家の荷物のことについてここで書いたが、やはりいらないものが多い。がしかし、いらないものでもそれなりに整理がついてさえいれば、格好がつく。いらないものを納める場所があればの話だが。

整理整頓は得意ではないが、それなりに努力はしているほうだと思う。私なりの知恵を述べておけば・・

● 整理と掃除は分けて考える。分類の作業が必要なものは片づけず、とりあえず段ボール箱にでもぶち込む。そして何もなかったように部屋を掃除。このときにごみも処分。散らかった部屋にはごみがたくさん含まれている。ごみとそうでないものに分類され、整理のためのスペースも確保でき、気分も頭もクリアになる

●ぶち込んだものを分類する。まずは絨毯の上にでも並べるといい。ひとつひとつ片づけていると無駄な往復が増える。まとまったものを順番に片づける事で時間が短縮できる。

また、部屋の見場を強力によくするために、

●整理されていても、ごちゃごちゃしたところは見えないほうがよい。視覚的にかなり違うのだ。

● お菓子の空き箱、進物品の空き箱などは整理のために用いない方がよい。ついつい使ってしまうお菓子の折り箱などは結果的に大きさがまちまちで、色や柄などがバラバラ。それがたまりに溜まると実に不細工で場所もとることになる。私は知り合いの段ボール屋さんに無地の段ボール箱で収納ケースを作ってもらっている。文房具屋さんで売っている「ソフトピタリック」という粘着テープのついたカード入れのようなものを張り付けて内容表示をしている。大きさもそろっていて見場もよく、安価で、機能的。無印良品のやつよりずっといいぜ。なお、段ボールで作ってもらう場合は「ダブルで」と指定してみよう。段ボールの切り口を見たとき二枚の段ボールを張り合わせたような構造になっているものがダブルで、そうでないのがシングルだ。また段ボール自体も値段によって強度が違うので注意。

●以外と整理のつきにくいスーパーの袋の整理法。ついつい溜まってしまうけど、いざというときにないと不便なのがスーパーの下げ袋。これは会社の女の人がやっていたのを盗んだテクニックだが、まず縦方向に二回に折り、それを端から三角に折って行く。最後に手の部分を三角の折り込みの部分にさし込んで、台所の決めた場所にポイポイと投げ込んで置けば機能的。場所も取らない。鞄に常時入れておけば、なにかの時に困らない。まぁ、女の人にはおすすめ。あぁ、所帯くさ。


【99/2/14】

セントバレンタインデーとは古代ローマでバレンタインさんが処刑された日だそうだが、知っていたか?おっちゃんは知らなかったよ。たまにみるNHKTVの「週刊こどもニュース」でやっていたのだが、(けっこう時事問題とかをわかりやすく解説していておもしろい)恋愛感情というのは頭部にある「へんとう体」(漢字が示されていないので字がわからない。扁桃腺の扁桃とはアーモンドの事だが??)の働きによるらしい。その「へんとう体」には価値観に関わる情報が蓄積されていて、その判断によって恋に落ちてゆくそうな。そのデフォルトの情報は実は3歳までに仕込まれてしまうというから驚きだ。


【99/2/13】

和風建築についての書籍を物色しに四条富小路のジュンク堂書店まで行った。お昼時だったのでついでにその近辺で食事をとることにした。そこでおすすめなのが「ト一食堂」だ。富小路をすこし北に上がったところにある。

大阪・京都・金沢と三店舗あるト一は北陸でとれた新鮮な魚類をリーズナブルな値段で提供しているじつに庶民的なお店だ。店のつくりも、味付けも気取ることがないが、四条に出たさいの腹ごしらえにいかがなものだろうか。定食類はおおむね600円という値段(ほかほかのおでん定食なら550円)がついている。お造り、天麩羅(衣がサクサクしていておいしい)のついたト一定食は900円だ。いずれも税別の値段。電話は075-223-0338。月曜定休だ。


【99/2/12】

9 日についにimacがやってきた。68kで始まった私のmac人生もついにG3チップに突入!とにかくインターネットがめちゃめちゃ早い。ダウンロードして早く、アップロードして早く、ブラウザを立ちあげてもはやく、何をしても早い。おまけにこれまでボケボケのCRTを使っていたため、とにかく画面が鮮明でうれしい!ごっきげんである。ただ、キーボードの配列が違うのがやりにくいのとマウスがまん丸なので扱いにくいけど・・

さて、話は戻って9日の昼休みの事だが、コンパス(もとアップルセンター御池)の小森さんがその箱を台車で押して御池通りの向こうからやってきた。以前「いやっ、近いですよ、会社から」と告げた私の言葉を素直に信じて、15分の道のりを彼は台車を押して来たのだ。開口一番「結構な距離じゃないですかぁ」

がしかし、の小森さんが大ボケをかましてくれて、購入予定だったイーサーのカードがまだ到着していなかったのである。

なにせアップルがUSBの規格に寝返りを打ったおかげで、結局従来の機種(6300/120)とLANをくまなくてはならなくなったのである。もう少し詳しく言うと→imacがお買い得なのだが、周辺機器の規格と合わない→よし、イーサーで接続しちゃって、外づけのハードディスク兼インターフェイスにすればよい、と判断したのである。二台あれば、結婚して嫁さんにも使ってもらえる、等など(今日日の嫁はパソコンくらい持ってる、という意見はこっちに置いといて)と判断したためである。

まず、データのやりとりがまったくできないので参った。imacにはフロッピードライブさえないのだ。考えた結果、クラリスメールのメールそのもののファイル、アドレスブック等のファイル、エクスプローラーのブックマーク、この日記帳のファイル、それとオリジナルの警告音だけはメールを経由させて送った。両方のマシンでメーラーを立ちあげ、片方で自分のメールアドレスに送信し、PPPを切って、すばやくもう片方のメーラーでそのメールを受け取るということを数度繰り返す。わずか50cmの距離を、なにをやっているのだろう・・小森のオッサンを恨んだ。


【99/2/11】

深作欣二監督作品「おもちゃ」の鑑賞券をいただいたので、ありがたく見に行かせていただいた。ほんとうに映画は久しぶりなのだ。前年祇園会館で見た「ロッキーホラーショー」以来だ。休日の新京極通は人影もまばらで、(午前中だったということもあったが)映画館「京極弥生座」も非常にさぶい人の入りである。

ロケ地が京都ということもあって、どこで撮ったものか、というのがよくわかりすぎるので、ストーリーとちぐはぐに思えて仕方がない。昭和33年の話ということだったが、背景を行き交う電車は京福の47年製の車両だったり、JRの新型車両だったりして・・。祇園の花街での話だが、撮影所の近場の帷子の辻やら蚕の社あたりのロケが多いので、超地元民の私には、あれこれ勘ぐりすぎていけない。

主演の宮本真希ちゃんは宝塚の研修生がそのまま成長しちゃったふうで、その未通女さ加減も瑞々しくてよいが、スクリーンは一種密室のように感じる京都の住環境の雰囲気をよく伝えているように思う。路地にある置屋の佇まい、狭い階段・・わりとさっくり見れるので、ビデオもでると思うのでいかが?


【99/2/7】

先日飲み会の続きに会社の先輩と後輩が来たので、久しぶりにオールナイトニッポンのテープを引っぱり出してきて聴かせた。私達の世代ならばかなりの人が知っているタモリのオールナイトニッポンでやっていた「つぎはぎニュース」というやつで、リスナーがNHKのニュースを録音したものを好きにつなぎ合わせておかしな内容のものを投稿してくるという趣向なのだが、今聞いても腹がよじれるくらいおかしい。実際、オトコ3名、夜中の狭い個室で笑い転げた。

しばらくして、テープもかなり痛んでいることなのでMDに落とすことにした。ソニーのC60のカセットテープには他にも松田聖子が当時10分の帯番組でやっていた「ピンクのスニーカー」やら同じくオールナイトニッポンの土曜日でやっていた鶴光(お、変換した!さすがATOK)のオールナイトニッポンの「ミッドナイトストーリー」の鶴光と芦川よしみのカラミが克明に記録されている。 MBSのヤンタン水曜日の原田のブロウ(しまった!がんばれ ATOK!)→原田伸郎(アシスタントは松原みき。懐かしいなぁ)のコーナー「ありそうでないものは」やら、公録だった土曜日のつるべ(これはATOK辞書になかった)の観客の参加コーナーであった「ヤンタンスター製造株式会社」など、楽しい。葉書を読まれたりした場合の景品は「ヤンタンバッグ」だったのだが、一体今何人の人が持っているだろう。

思えばCDも、インターネットもない時代、深夜放送のAMラジオが最強のメディアであった頃、DJや投稿そのものが学生文化の話題づくりに重要なポジションを担っていたのだ。


【99/2/5】

郵便局に立ち寄ると「20世紀デザイン切手アンケート」のチラシが置いてあった。(下のイメージを参照)21世紀へむけて、シリーズ切手を発行するとのことだった。このチラシのデザインだが、なんといってもポストが空を飛ぶという安易さが胸に沁みるが、ポストはその場にあって初めて安心して利用できるものではないか。ポストが飛んでいってしまったら、後に残った地域住民はどうなる、と思った。

冗談はさておき、とあるコンサルタント会社が郵政省に足を踏み入れたところ、組織が全く機能していないために、頭を抱え込んでしまったとの話しである。世間の声がなぜ「民営化」なのか、その意味を真摯に受けとめて、自らがリーダーシップをとって変革を行う時期に来ているのでは?「こう変われば、あれも、これも出来なくなる」というのではなく「私達はこう変わるために、こういった条件を克服します」と言って、実行する。それが真のプロフェッショナルではないだろうか。世間のことをそっちのけにしてポストのように飛んでいってしまわなければいいが。


【99/1/31】

「憂歌団」のライブが深夜のテレビでやっていた。25年の活動を終えて一旦幕をひくそうだ。僕はごく初期のころのテープをひところ兄貴が嫌気が差すほどリプレイしていたので、そのころの曲が特に馴染み深いが、京都に住んでいれば、その気になれば何時でも見れたから余計に見なかったバンドのひとつ。ヴォーカルの木村の歌はいまさらながら「天性の歌」というのがちゃんと存在することを見せつけてくれる。うたとは、かように向かい合うものなのだと、そういう気がするのだが。 25年やったのだから、もういまさらなんでやめるのだろう、と思うが、(冬眠ということだそうだ)そんなものはただの外野の野次のひとつ。いつまでも変わらないと安穏としていると、自分だけが置いて行かれる。

one and only,たとえばヒムロックの歌い方を真似した大同小異のシンガーが世の中に溢れても、決して彼等の真似をするやつなんかいないし、真似なんか出来る筈がない。純粋な音楽というものは、そういった少し特別な場所にあるものだと思うが。


【99/1/10】

今年もまたあの日が巡ってくる。

震災の年の3月、不謹慎かもしれないが、どうしても神戸の事が気になっていたので神戸へ、その時付き合っていたガールフレンドと(彼女自身も被災者)出かけた。

震災後2ケ月が経過しようとしていたが、被災地は依然、危険な状態に曝されていることに気がついた。歩道にのしかかるようにやっとそのかたちを留めている建築物、手付けずのままの物件がまだまだあり、ところによっては道が塞がったまま通り抜けが出来ない場所もあった。

・・しかし特筆すべきは町の賑わいだ。被害の少ない店は商品を整え、以前にも増して安い値段で品を提供し、ときには菱形に壊れた自らの店を背にして、威勢のいい声を張り上げて忙しく動いている店主がいる。このような事態だから警察の路上での出店の規制も緩やかなものなのだろう、その一角はフリーマーケットのような楽しささえ感じた。

南京町の中華街では身動きに不自由するぐらいの賑わいだ。どのみせも露店をだしてそれぞれの自慢の品を200円から300円の破格値で提供している。まだガスが復旧していないのでプロパンガスでの調理だが、みな生き生きと動いているのが印象的だ。

わたしたちはあの店、この店と場所を移動してひとときを楽しんだ。不謹慎、かもしれないがひどく寒い路上に腰掛けて缶ビールのリングプルを抜いた。美味しい!楽しくてうれしい気がした午後だった。

もちろん三宮の北側などはことごとく壊れて人の行き来さえも少なく、おまけに粉塵のために少し歩いただけでも喉ががらがらになる。生田神社よこの著名なライブハウスはすでに瓦礫の山と化していた。町並みは工作物の倒壊でなぜか自分の歩いている場所がわからなくなる。斜めにたっているビルばかり見ていると平行感覚がおかしくなる。

住吉の駅をおりたったとある場所に段ボールにマジックで「被災地見学者、危ない、早く帰れ」という誰かの掲示があった。それは現地にくらすものの叫びとも取れるし、また飽くまで傍観者、でしかない私達への気楽さにむけての怒りの言葉であるかもしれない。 しかしまちについての物質面での支援も重要なことであるが、それ以上にあのように町に人が訪れ来ず、ものが動かず、にぎやかさが失せてしまえば、それこそが町の最後となってしまう。わたしたちが以前と変わらずに神戸を愛して、京阪神の仲間としてともに車輪を回して行くことこそが今は重要なのではないだろうか、とその時思った。

・・時は平成、あの地震のせいで生身の人間様が五千人も丸焼けになったり瓦礫の下になっておしつぶされたりした。毎日の生活はそれこそ好き勝手な場所で携帯電話をかけたり、何千という曲の中から瞬時にして自分の18番をセレクトしてカラオケでうたえたり、とたまらなく便利になったというのに、いったん地面がわなわなとふるえただけで橋は落ち道は壊れ人は死に通信は途絶える、と、なんともはや、もろいこっちゃと思い知らされた。

人の命は儚いものだという、一種諦観ににた感情は日本古来の文学にみられる共通のテーマであるが、それは私たちの胸の中にも同じようにいつも木枯らしのように音を立てている、もし京都におなじクラスの地震が来たとしたら、と思いをめぐらせてみる。果たして私達が同じような立場におかれて、果たしてあのような力をだせるだろうかとかんがえる。京都は大丈夫だろうか。


【99/1/2】

ジャジィなギターとは、と考えて、ついこないだ友達の店でかけていた山岸潤史の[My Pleasure]という作品をあらためて聴いてみた。ボビー・ウォマックやデイヴィッド・Tなどと競演した88年の作品でソウルフルでジャジィな「おっとなじゃーん」というフレーズが満載されている。当時はシンセの音色がちょっと安っぽかったのであまり聴かなかったがギターのお勉強にはいいと思う。いま改めて「あれから10年か…」と思うとやはりショックだな。


【99/1/1】

元旦、まずはお雑煮だろうと考えて、冷蔵庫から餅を取り出すと見事にカビが付着していた。包丁でそれをそぎ落とす。とりあえず、餅とほうれん草だけのが出来上がった。あまり美味しい代物ではなかったが、年末にあちこちからもらった、黒豆とか、数の子の類はおいしい。年末に作った豚の角煮もうまい。

今年は何をしでかすか・・◆その中のひとつに、CDを作ろう!というのがあって、果たしてどうなるかは分からないのだが、今しかないだろう、とも感じるし。◆それと、芸名を名乗る。たとえば「エルトン永田」とか「GONTA2号」とか、あるように(笑)。だいたい「大江章造」という名前がミュージシャン向きでないと思うのだ。◆それとこの部屋を出て、タンスと大きい冷蔵庫(もち、冷凍室付)の置ける、広いキッチンのあるとこへ住む。いま余所で預かって貰っているギター達も全部引き取る!◆「お料理教室」かなんかに通って料理をもう少し勉強する。「おばんざい」とか作れるようになる。美味しくできたら周囲に配る。◆資格とか取って、行く末は職場で「大江先生」とか呼ばれるように頑張る。◆3年振りに夏休みをもらう!海水浴に行って無邪気に波と戯れる。◆今年のギターはジャジィなフレーズとか弾いて、世間のオンナを魅了する(夢じゃー)

まあ、そんなこんなで今年もよろしくね。