赤ちゃんポスト

赤ちゃんポストの論議、報道を見て思います

これは、捨てる親のことより、
順番を、捨てられる赤ちゃんのほうを順番を先にして
考えるべきことだと思うのです
赤ちゃんは、捨てられる運命を拒めないし、
抗議する手段も持ち得ていないのです
無力なのです

赤ちゃんポストをやろうと、思ってくださった方は、
僕の代わりに、そう思ってくださったことだと思うのです
そうしなければならないと念じた
それに見合う、問題の在処を僕なんかより
身近に感じていることだったと考えるのです。

言われるように、
捨て子の助長かも分かりませんが、
そういう使い方をしてしまうのを責めても
事情はいたるところにあり、僕は無意味と思うのです
親としての責任を果たすのは、
責任を問うことが出来るのは、自分自身だけなんじゃないかと思うのです

しょうがなく、こぼれてしまったもの、
それを無心に受け止める「受け皿」でいいんじゃないでしょうか

僕は、支持しています。

横断旗

2007年06月06日

ネットニュースの片隅に
風見しんごさんの刑事裁判のことが載ってあって
娘さんの死亡事故のことを思い出した
それから、ブログを探して
なかでも「横断旗」の記事には
実にしみじみと読ませ頂いたのだ

「こどもに、いのちの大切さを教えましょう」
とよく口にすることがあり
「いのちの大切さ」が言葉の響きだけで、軽くならないかな、
と心配することがあります
それって、生きていて、感じとるものより、
なくして気付くものがはるかに大きいよね
でも、できることなら、
なくさずして気付き、
出来る手当ては出来た方がいい
そのためには、色々やり方はあるよね。

生きていて、十分に大切にしたいものだ
なくした誰かとは、一緒に偲んで供養したいものだ
そんなふうに、僕は残りの折り返しを、生きていたいと思う

さんちょ

昨日は、嫁の実家で田植えちうことで、
お手伝いをと楽しみにしていたが
田んぼにお水が入っていなかったのね
また来年
そんなこんなで
昼時に焼き肉を美味しくいただきました
結局昼をごちそうになるばかりで、
僕はなんのお手伝いも働きもしていないのであった

今日は、ブラッキーちゃんの修理と
GIBSON LesPaul Studioを委託販売に出すので
(MaxonのCS505が不調なので、代替を買う費用を捻出のため)
嫁サンのっけて伏見のEast Village Guitarへ
修理していただいている間
嫁サンを伏見のさんちょにご案内
サラダうまかねー
サンチョのサラダは、
ドレッシングにつけ込んである感じで
苦手な人は苦手かもしれませんが、
私は大好き

写真は伏見のサティにあった
富山の駅弁「ますのすし」
そっかー、1200円もすんのやね
なんか、無人のワゴンにがさっと積まれているだけで
さみしそーでした