LOGIC

脚の小指が少し痛いんだな
それでも地下鉄の入り口からちょっと逸れて
僕は四条通を歩いていた
お目当てのCDを見つけに
東洞院の角のビルは工事中で
十字屋は柳馬場に移動してた

静かなビルの2Fの廊下の突き当たりに
不似合いなあかるい売り場
前から気になっていた
ハナレグミと
植村花菜のCDを買い求めた
ハナレグミは、ずっと前から、
買おう買おうって思っていて、
高知へいったとき、浜田はしっかりチェックしていた
植村花菜は、イマドキ、アリガチ
でも、ちょっとつまさき一歩出ている感じ
声も、ルックスもええよ、おすすめ。

LOGICを触り始めました。
すんげえ早い言い方すれば、
ハードディスクレコーディングと、
ミディのシーケンスソフト足したみたいな。
暫く前にもう買っちゃってて
全然触るタイミングがなかったの。
最低限、使い方が分かったが
お楽しみは、これからっちゅうこって。

いのち。

本田美奈子死す。
ご冥福をお祈りします。
先日の番組で、
快方に向かっているとのことでしたが
病は、人ごとではありませんね

きょうは、Crescent Eatersの練習で、
歌手の松原みきが
先月子宮がんで亡くなっていたらしいぜ
(※間違い 正しくは2004年死去
コメント参照)
なんて話をしていたのです。

何も残さないより
なにか残る人生。
そうありたいものですよね。
音楽も、ひとつの手段、手法かな。

昨日、
Seideのマイクと、
先日の「Rain Of Pain」が相次いで着きました。
音源は、プレイバックしてみて本当に驚き。
素晴らしい仕上がりです。
最近、命があるというお陰で
いろいろな発見のある毎日です。

くちなし

昨日、職場で仕事をしていると
大奥さんが声をかけてきて
「大江さん、くちなし、持ってかえる?」
以前も、紅葉を分けてもらったりしている。
どうもずぼらな僕は、幾つかを枯らしてしまったりで、
申し訳ない。

その、くちなしは
庭の隅の方の朽ちた発泡スチロールの箱に陣取っていた
持ち上げようとすると、まるっきり動かない
見ると、小さなプラスチックの植木鉢から、
その発泡スチロールの底を突き破って
縦横無尽に土のほうへ根っこが張り付いている
結局、その箱を粉砕することとなった。

なんという生命力。
生命へのこだわり。
こいつに比べれば
なんてヨワッチイ自分だろう、と思った。
きっと、こんな根っこにぐるぐる巻きにされたら
とうにキュウキュウ言ってしまっているだろう。

「植えるときはね、この長い根っこを
丸めるようにして植えるのよ」
「はじめは水をたくさんやるようにしてね」
とアドバイスを貰う。

次の日、我が家で、
この間のナルシス君の横の
ごく狭い土の場所へ。
ナルシス君も、もうだいぶ、伸びてきた。
まぎれも無く、秋の、どまんなかだ。

こんなとき、何かしら、恋が、なくては・・。

とまどい

うおー。
ザイドのマイクより一足お先についた品物。
ヤフオクで購入した
「クレッセント」吉田真里子。
探していたのよ、探していたの。
中古CDにゆくと必ずチェックしていました。

ミスマガジン出身の彼女は、
斉藤由貴、南野陽子、八木さおりのラインで、
デビウ曲「とまどい」は
武部聡志楽曲で
「どうみてもクローン斉藤由貴」
キャラで発進。
いまきくと、この曲を最後に死滅した
「間奏で語り」(伊藤つかさがよくやってましたな
そういうの)
「酸素吸入器つけたろかー!」
と間違えて絶叫しそうな
さういふ状態(?)でありました。

比較的ジミアイドルで、
限られた上得意様に愛されつつも、
インディーズに転向後、
ビョーク好きも頭角を表し
マニアックな世界にずぶずぶと進み、
ホムペのコラムが途絶えたと思いきや、
プツリと平凡に結婚。
アイドルの生涯に自然に終止符を打ったのでした。

「クレッセント」は
Bドル最後の金字塔、
斉藤由貴が御堂筋線なら、
吉田真里子は四つ橋線。
陰陽であらば、陰
阪急京都線であれば、大宮。
牛丼でいえばすき家。
無垢に、丁寧に磨かれた楽曲が、
宝石のように散らばっているのでありました。

当時、太子道にあったレンタルCDを
1991年のワタクシは
「是をむねとすへし」といひ
当時のカセットTDK-ADに納めなどしたのですが、
経年劣化もありまして、
いつか手に入れば良いのにと念じていたのでした。
ヤフオクでの価格は諸経費入れて1000円ほど。
ええ時代になったもん。
しかも状態ええし。
出品した人、ありがとね。

豚まん

ザイドのマイク。
ヤマト運輸の荷物追跡によると、
つい先ほどの午前0時30分
京都の営業所に着いたらしい
今からでも届けてええでー。

ま、録音機材が、
KORGのD4だけじゃね・・。

中村から帰るその日、
駅での待ち時間に待合室で
コンビニで買ったべちょべちょの
豚まんをむさぼっていたところ
写真の彼は現れました。

ひとつ向こうの席で
オサーンが同じように焼きそば弁当
らしきものを食していたのに
そちらにはいっさい関心ナシ
肉のにおいが気に入ったのでしょうか。

何もくれてやるつもりは無かったのですが
私の膝に脚をついたり
鼻をツンツンしたり
さんざんアプローチを繰り返し
観念した私から
ついにはその最後の一口を
おなかに収めて満足そうに
足取り軽く何処かへ彼は消えて行ったのでした。

手許に白く映っているのは豚まんの包みです

ミディはアイロン台に乗って。

ヴォイトレの練習んときに
スケール練習をよくやるのですが
「家でもすへし」と
なんとか、家で鍵盤が鳴らせるように
と考えたのです。

10年前、当時の私は
まだ68KのLC630で
デモテープなど作っていたのですが、
そのときのMIDI音源
ローランドのSC88がまだございまして
そいつをピアノ代わりに使おうと
倉庫からごそごそ出してきたのです
スタンドなどはありませんので
とりあえずアイロン台に置きました(写真)

MIDIのケーブルがどうしても見当たらなかったので
会社の昼休み自転車を借りて
ワタナベ楽器で手に入れてきました

さっそく接続してみたのですが、
10年触らずに居たので
音色の選択がもう分からなくなっている

ハモンドらしき音色が出るが、
音色をかえてもそいつにミックスして出る
バキューン!とか、
シンドラのピュンピュン!とか
お~い
ピアノだけ鳴ってくれたらええねん・・(汗)

その後も、バグパイプの音色やら、
へりこぷたあの飛ぶ音やら、
怪しげな音色を発しつつ、
おうたのレッスンはままならぬまま
ますます夜は更けてゆくのでした。
おしまい。

微熱。

忙しい人は、充実した人?
退屈な人は、からっぽの人?
誰かと居る人は、一人じゃない?
一人じゃないって、幸せの人?

責任があるからといって、
言いたくない事を言って嫌われた人は
誰か分かってくれてる?

好きになって
どんどん好きになったとき、
かみ合う歯車もない、
ずっと、手応えもなく、くるくる回る、
それでも、何もないより幸せと思っても、
それでいいと、あっさり終れるかな。

誇らしいより、惨めったらしいもの、
勝った人より、負けた人。
大勢より、取り残されたいっこに、
心が惹かれるのはなぜ?

明日は、お仕事れす。

ざいど。

31日は朝から、浜田と
具同の「ハマダ楽器」で
新作の「Rain Of Pain」の
僕のバッキングのトリ。
結局、B25nで全てを録音する事になった。

写真は、浜田が最近購入した
ザイドってメーカーの真空管コンデンサーマイク、
PC-VT2000。
めちゃめちゃええでっせ、コレ。
しかも某所で破格値。

はじめ、浜田の録音したものを
聴かせてもらっていて
へえ~って感じだったんだけど、
いざ構えて、
自分のギターの出音をチェックしたとき
ブッ飛びました。
なんやこれーっ!って。
も、素晴らしいです。

作品は、ごくアコースティックな
造りになると思います。
それも、エレクトリックを嫌って
そういうふうになったのではなく
自然な流れで。

リスナーに満足を与える、
宝物の一枚になるんじゃないかな
って手前味噌ですが、思っています。


1. Posted by はまゆう 2005年11月02日 02:01
大江さん、何曲かベース入れて、ラフ・ミックスしてみたけど、これええよ。もう普通に何回もリピートしてる。
これ売れたらええなあ。そしたらもっと機材そろえるのになあ(もちろんわけ有り)

B25n

このブログのURLにもなってる(注:当時)
b25n1967
とは
新しい相棒の事でございます。
彼女は、3つ年下の小柄なやつです。

以前より、向日市のような場所で
こまごまとアコースティックギターの修理をされている
リペアマンがいらっしゃいます。
柾目ウッドメーカー の清田さんがその人で、
ヤフオクにヤマハのギターケースを
出されていたもので
現物を見せていただきに行ったのですが、

同時に出品されていた
GibsonB25Nというギターを
試し弾きしたのが、運のツキだったわけです。

本当にあの「試し弾き」はいけません。
刑務所から出所してきたところを
昔の悪い友達に
「また昔のように楽しくやろうぜ」
などと誘いをかけられるのと同じ心境です。

サイドギターをやるのがメインの私にとって
最良のブツに出会った、という確信にみなぎっています。

場所を取らないし、テンションや弦高が低くて、
小さい分、軽くて、比例してハードケースも軽くなるため、
本当に持ち運びがしやすい。
ボリュームはJ-45より遥かに小さいですが、
音のツブが立っている感じだし、ストロークすると、
結構じゃりじゃり感があっていいのです。

今回の高知にも、連れて行ったのですが、
浜田とのセットにも、バッチリでした。
新しい世界の扉が開いた、というかね…..。

しつこいですが

ほんまに、しつこいですが、
30日は「おらんくコンサート」
スーパーのはざまのスペースで
音がぐるぐる回るさなか、
やってまいりました。

地元で
フォークシンガーと称される
みなさんや
(日本のフォークはフォークやない
あんなん歌謡曲や
ってとある御仁は仰います)
ヒップホップのダンスのさなか
「また今日も浮いてんなー」
と思いつつ、
それでもボスとふたり、朗々と奏でてきました。
他のアーティストの
オーディエンスが結構多かったようですが
果たして、どうだったのでしょう。

ふとした疑問ですが、
この町って、ジャズメン居るのだろうか?
京都大阪って、高槻のジャズフェスとなると
「こんなにも居たかあ」と思うくらい
次から、次から、なんですが。
総じて、どうも、音楽人口少なさそう。

PA氏も、のんびりしているのでしょうか。
演奏が終って、シールド抜こうっていうときに、
全然舞台見てない。
「シールド抜いていいですかあ~」
返答なし。
「うりゃ~ △◎※凸凹☆!!!」
と言おうと思ったが、こらえて、こらえて。
すぐに次の人が入る様子だったので
泣く泣くシールド抜きましたが
「ぶち」とか言ってましたが。
あかんやろー。

いえ、Cryと不平をいうよりも
進んで明かりをつけましょぼんぼりに。

みなさん、またみにきてね。