あとがき–鉄道少年のなれのはて

着にくくなったシャツを着たおまえがいま眠りについた
もうだれもその顔をのぞき込む奴は居ない
小さな体を軋ませて路地裏の花を靡かせたのが嘘のようだ
花束の花がしおれないうちに
仲間と集まって今日だけは昔の歌を口ずさもう

いつもはただ
見上げるばかりの空が
いつか自分のものになる日を夢見た
すこしだけおまえが素敵に見えた

銀色のいびつなレールになぞらえて
孤独な人はまた今日も旅に出る
おまえの走る線路はここにはないが
おまえの奏でた歌はいつもここに残るだろう

もう、電車の写真を撮ることなんて10年前にやめてしまった。撮るものがなくなってしまったからだ。でも久しぶりにアルバムをひらき、写真を選んでスキャンしたり、トリミングしたりしているうちに新鮮な驚きが芽生えてきた。写真のそれぞれはひどく拙いもので、同時にひらかれた僕の手記もうろたえるくらい幼稚な内容のものだった。しかし、見てみるとやはり僕にとっては価値の高い物だ。だってこの鉄道写真のそれぞれがいまどれだけ努力しても撮影できないものばかりだから..。

ローカル私鉄の多くが経営内容を圧迫する赤字に見舞われ、その運命を終わって行く。廃止ということはイコール電車たちにとって死を意味するものの他ならない。それだけにそういったもの見送る 事が耐えられないのだ。

こういった内容のページはごく限られた愛好者でしか楽しめないと思う。音楽中心の私のページに.. 「いったいこのひとは何がやりたいのか」と思われても仕方がない。しかし、過去があって、しかるべき現在の私だ。立ち止まって、地方交通の果たした役割について、考えよう。そして、現存し、将来のあり方を模索する中小私鉄にささやかなエールを送りたい。

1997年4月 大江 章造

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