Diary1997




【97/12/23】
引っ越しをするにあたって、今からちょっとずつ荷物を減らす工夫をしていて、今日は古いシングル盤をMDにまとめる作業をしている。その中にレンタルレコードで中古で200円くらいで買ったあみんの「待つわ」があった。いまは「人妻」となった岡村孝子も当時は名古屋の女子大生、好きなアーチストはふきのとうとYMOというから驚きであります。B面に収録している「未知標」という曲が当時ぼくのお気に入りの歌で、これは彼女がのちに改めて録音し直したようですが、ぼくは酸欠の金魚のように半ば喘ぎながら歌っているあみんバージョンのほうが好きです。あぁ、足が冷えるな。

【97/12/20】
仕事の同僚がたまたま「サイモンとガーファンクルが好き」といっていたのを思い出して、押入の中から高校生の時に録音をしたのを(富士写真フィルムのRANGE2というカセットだ。どんなテープか分かるひとはなかなか凄い)持ち出して聴いてみた。いま冷静に聴いてみると、結構ラフなとこもあり、今聴いても斬新なアレンジあり、なかなかおいしいところが盛りだくさん。「ミセス・ロビンソン」や「ボクサー」の頭のギターのリフを聴くとなぜか今更ながら楽しくなってしまった。アコースティックギター弾きでなにか行き詰まっている人がいたらきいてみるといいかもしれない。

【97/12/15】
3連休(個人的な…)は連日、百貨店へ、という快挙(?)をなしとげた。金曜日は大うつけ者の私は「マックファンエキスポ」に行きますから休みクレ!とたからかに宣言し、大阪ドームへ行った。私の予想は的中、金曜日はゆっくり見れたが、土日は人波で微動だにできなかったそうだ。私は休みでぼけていたので、5年前、当時の後輩の女の子からもらった大事な毛糸の帽子をおっことしてしまった。しかし、明日があるさとすぐに気を取り直したフリをして、かねて用意の全国共通商品券で難波の高島屋でラブリーな冬物の帽子を買い求めた。次の土曜日は「丸物」から「近鉄」になって(いつの話しじゃ)ほとんど立ち寄ることのなかった京都駅前「近鉄百貨店」へ。今年出来た「京都JR伊勢丹」に押されてちょっと落ち目の百貨店で、もらいものの近鉄の商品券でネクタイを、とおもったが、今一つぱっとしたのがなかったので、パンツを買い求めた。そしてトリは日曜日の「京都大丸」ここはうちの家からも非常に馴染みの深いところで、またうちの会社が戦前からプロパーをもっているということもあり、また位置的にも便利でバイク専用の駐車スペースもあるということで、仕事の服はここに決めている。親父に頼まれたお歳暮の商品券を買い求めにゆくと、なんと銀行のように番号札を渡された。さすが手順もよくこなれたもので、見事にシステム化されている。それほど時間はかからず、目当ての紳士服の特販の売場へ。いろいろスーツを見てくれた初老の販売員は応対の途中、なぜかチンチラチンチラと可愛い鈴の音を響かせていた。その理由ははスラックスの丈合わせのハリを打つときに分かった。ハリをおっことしたりしたときにたやすく場所を確認し、音で認識できるようにとした工夫だ。これもやはり日常のたゆまない繰り返しのなかで得られた知恵だろう。僕は子どものころから百貨店が好きだ。普段着でも、ちょっと服のことを気にして出かけるのも、百貨店だからだろう。もしここから地下食品売場の歳末の活気がなくなってしまえばどんなに淋しいだろう、とも思う。百貨店にも厳しいご時世だが、萎縮することなしに、是非、元気にやってください、とお願いしたい。

【97/12/14】
「捨てるべきか、否か」ということで再三悩まされる今日この頃、今朝はセミビキニに帰る前に愛用していたトランクスのパンツの山を処分する事に成功した。昨日、お香典返しの京都近鉄百貨店の商品券でカンサイのやつを3枚買ってきたから、ということもある。これは捨てるつもりはないが、昔、テープを痛めないように大事に聴いていた「堀ちえみ」の2枚目があるので、いまそれを聴いている。おそろしいことで、空で歌えるではないか!自分のつい最近つくった曲でさえ、まともに口に出来ないというのに。私はこのころの鈴木茂のアレンジがなんともいえず好きだった。いま聴いたら「ぽっ」と赤くなるような素朴なエレピの音色、トン、トンというドラムのスネアの音色や、コロコロとしたストラトのオーバードライブの音色、そして飛行機のテイクアウトを模したドロップDチューニングのスライドギターのフレーズ、…ああ、あれからなんて僕は汚れてしまったんだろう。

【97/11/17】
10年前、19万円で買ったホンダのシティで遠乗りをしたことがある。私は新入社員であったときの話しで、嬉しくなった自分はさっそく北陸道を目指して走り出した。同乗者もなく、一日、輪島まで黙々と走り続けた。会話もなく流石にとちゅうでいやになってきた。
いまはどうなっているか分からないが、金沢から30分ほど行くと、「渚ドライブウエイ」というのがあって、砂浜の上を直接マイカーで走行できるようになっているところがあった。記念にと、かねて用意の三脚とカメラを持ち出して撮った。向こうを見渡すと、フィルムを貼った黒塗りのクラウンがあって、鈍く輝く日の光の下でヤンキーのカップル2組が同じように記念写真をとりっこしていたのだ。いずれにしよ、道すがらひとりで車をぶっとばしてきたアホウは自分くらいのものだった。
その日は輪島で、なにもない殺風景な民宿の布団に潜り込むことが出来た。100円コインテレビのコインが切れてテレビの画面がノイズに変わった。翌朝は「NHKじゃ、牛肉、オレンジ…(日記から)」TVをみながら、しこたま盛られたご飯をゆっくりと食べて、その後能登半島をぐるりと回って帰った。ひどく疲れて帰ったことを憶えている。手帳には「このまま大したこともなく、歳をとって行くと思うとぞっとする」と書いていた。
1泊で、それも一人で、まだ馬力があったのだろうか…。

【97/11/16】

思いがけない封書が来た。京都4区の前衆議院議員の名前だ。どぼして…と思ったら書面には私の母校の有志の人物からあなた様をご紹介いただいた。と書いてあった。一寸興味を持ったのは11月23日に予定されている彼の講演会の案内だ。その場所(京都ホテル)にはあの小沢一郎が来て講演会までする、とのこと、懇親会では、あの小沢一郎とテーブル毎に写真が撮れるとのことだ!格好のホームページねただ、と思ったのだが。因みに会費は一万円。予定があるので、行かないが、大江章造と小沢一郎、これほど滅茶苦茶な取り合わせはない、と笑ってしまった。

【97/11/3】

前にも書いたが一人暮らしをすることにして、急に身の回りのものが煩わしく成ってきた。整理してもなかなか減らないCDや、カセット、ビデオ、LP、本などがその大半だ。今日はあまり聞かなくなったものや、今後あまり聞きそうにないCDの選抜を行った。果たして中古CD屋がとってくれるのだろうか…ただでもいいので引き取ってくれるのだろうか、と考えつつ、それでもとりあえずあるものは全部持って行くことにした。
いま、私はそのうちのシャカタクの「ゴールデン・ウイング」を聞いている。あのさんまちゃんと大竹しのぶのドラマで一世を風靡(?)した「L'aggio L'amour」が収められている。全体の曲調は?一言で言えば、「ヤマハのエレクトーンのデモ演奏に最適!」という感じで、ちょっと言い換えれば、AM放送局の日曜日の昼番組の「大丸ショッピング」とかなんとかいうコーナーのバックに流れていそうな感じ。もっと言い換えれば、私と丁度同じ年頃のフュージョン好きのアマチュアバンドがやっていそうなサウンドと言う感じ。"Cavalcante"はその典型的でムーディーでリズミカルな曲にドハデなキメ!また部分的には4Beatに行っちゃう….みたいな。いわゆるBGMかな。でも古さは不思議に感じない。ミキシングのせいかな。

【97/11/2】

友人の下宿先に中森明菜の「メモワール」という随分古いベスト盤が埃を被っていたので借りてきた。当時センセーショナルだった「少女A」から来生兄弟の「セカンド・ラブ」大沢誉志幸の「1/2の神話」あたりを収録したものである。もちろんこのヘンは私が(レコードから録音した)カセットで持っていたものを更にMDに落としこんであるのだが、やはり生のレコードの方が音がいいということで録音しなおすことにした。
もともと2枚目のアルバムに収録されていた「ヨコハマA.KU.MA」という曲が今でもなかなかのお気に入りだ。機械がなんでもこなしてくれたり、70'sのキャロル・キングなんかのサウンドを焼き直して澄まし顔をしていたり…の今日のサウンドとはやはり違う、その時代と勝負している気合いの入ったスタジオミュージシャン魂溢れたプレイが濃縮されている、と私は思う。ペンは南 佳孝であるが、とにかくサービス過剰気味のストリングスとホーンセクションのフレージングに加え最初から最後までイキまくりのチョッパーベース、キレてるアナログ・シンセで、コレデモカというくらいに「歌謡曲」とは何たるかを畳み掛けるように私の脳味噌にぶちこんでくれるのだ。
デビュー曲の「スローモーション」もやはり、アンサンブルがことのほか美しい。 全てのトラックが手弾き、作品の仕上がりはアレンジャーの経験と器量に負うところが大きかった….と思う。それにも増して、彼女の声がなんと頼りなげで、「うぶ」なんだろう!(まだ、雑誌のグラビアでワンピースの水着の写真が見れた頃だ!その後彼女はいやがって、二度と水着の写真を披露することはなかったという)そして来生兄弟のペンも「機関銃」直後、冴え渡っていた時期だったように思う。
彼女のアルバムにはいろいろなタイプの曲が収められていたが、(個人的には)決められた作家陣、デビューからコンセプトアルバムを繰り出していた向こう岸の松田聖子の作品に比べると、セールスは別として、完成度については、もうひとつピントが絞り切れていない印象ばかり受けていた。でも、アタリの曲もあったのだ。
なんにせよ、自分の音を後世に残して行ける人は素晴らしい。100%機械でこなしている場合を覗いては、空気ひとつ変わっただけで、奏でられる音は変化して、二度とは再現できない。
たったひとつの流行歌でも、その時の雰囲気を反映しているというだけで、それはある意味で重みを増してくる気がするのだ。

【97/10/31】

寒波到来。冷たいが、その分透明度の高い空気が体を包む。暖かさが恋しい。でもなんだかとてもいい気持ちだ。不思議…..。
一人暮らしを始めるために、身の回りのものの整理を始めた。増えすぎたギターも、思い切って2本を始末しに車を飛ばして馴染みの楽器屋さんまで出かけた。そのうちに誰かの手に渡って新しい歌を奏でるはず。あしたから静かな3連休が来る。

【97/10/30】

わたしの職場では携帯のスイッチは切ることになっている。まぁ、そんなことは、仕事中の場所では、当たり前だ。私たちは会社に時間を売っているのだから。と、いいながら、急を要することもあるので、私はもともと音はならさずに、バイブレーターを利用して、かかる度にこっそりPHSを持って給湯室にかけ込んでいる。
その電話がかかって来たのは昼前であった。誰もがするように「もしもし!」返答がない。むこうの受話器から幼い女の子が泣き叫ぶ声がしている。何事か…どうやら病院か医院のようだ…先生が泣く子をあいてに良く我慢したねと話しかけている…。さらに「もしもし!」まだ返事がない。どうやらむこうの電話は鞄に収められているらしく、ファスナーが開く音がして、中をさぐる音が聞こえる。これではまるで僕が鞄の底に閉じこめられているこびとではないか!語気を強め、さらに「もしもし!」応答無し..僕のPHSの番号を知るヒトはそれほど多くない。家族に何かあったのだろうか..。僕は電話を切って自宅にかけ直した。休暇中の弟がいて、両親に何もなかったか!と聞くといま留守なので親父の携帯にかけてみる、といってくれた。
つぎの電話は昼休み、こんども応答がない。一転して穏やかなBGMが流れている。これは喫茶店だろうか?いったいどういうつもりだ。結局もういちど電話がかかって、奥さん連中が猫の「さかり」について盛んに論じている最中の会話音が流れてきた。もうあほくさくなって、電話の電源を切った。後で、家にはなんの変化もないことも確認できたが後味がわるかった。
なにかの誤動作か?単なる操作ミスが導いた結果なら、そういう頭の悪いヒトには携帯電話は持たせないでほしい。私は忙しいのだ。

【97/10/29】

どうやら窮地というものが、本当にここまできている。季節はもうすぐ冬というのに。どうして、おかしいくらいに上手くゆかない。でも弱音ははかない、とかなんとかいいながら、今日このありさまなのさ。みんなえらく幸せそうで、もうちょっとしたら、あの空おそろしい、ジングルベルが聞こえてくる。
飯ごうをたくときに、薪に火が点かなくてこまったことはないか。焦るうちに火の勢いが急に衰えて行く。いまが正しくそれだ。誰かを抱きしめるしかない。そして傷つけあって、また他人がひとり増える。ナンセンスだ。僕は限りなく低俗で、下等に思える。星が見えているが、冷たい雨の方がよっぽどいい。下手な慰めならないほうが、あとあと苦しまないで済むからだ。

【97/10/26】

「…だから言ったじゃないか!君とは国籍も信条も、価値観も、宗教も違う。だけど大切なのはお互いを知ることさ!鉄砲や大砲や地雷なんてもうまっぴらさ。だけど君は言うのさ。もうおしまいだって。拳銃を拾いなって、そうして僕たちの先祖は歩き始めた。でも殺しあうために、僕は人混みのなかから君を見つけたんじゃない。僕は君の言うとおり夢想家で、非現実的で、盲目で、でくのぼうで、偽善者かも知れない。でもこれだけは信じてくれ。君が君であるように、僕が自然に僕であることを…………。」

【97/10/25】
帰りの車のなかでカーラジオから聴いたようなイントロが流れ始めた。いまどきのFMなので曲紹介はない。「お、このイントロ、まるでビリージョエルのパクリやんけ。ひどいなぁ、いまどきの連中は!」ボーカルが流れ出した。ご本人やった….。

【97/9/28】
浜田 裕介のトラックダウンが完了して、CD-Rの状態で音源が私の元に届けられた。僕はそれを幾度も繰り返し繰り返し聴いている。私のギターが奏でられている部分はそれを必死で追いかけて、そして自分の気持ちをその度に確かめている。私はプロフェッショナルではない。このギターを弾くことで報酬は得ていない。でも聞き手にはそんな事は関係ないだろう。私のギターはやはり現在進行形、発展途上にあって、 良くも悪くもその場に克明に記されている。
ひとりでも多くの人にこの音が手渡されて、さわやかな季節の彩りのひとつとなってそれぞれに寄り添えることを心から祈りたい。

【97/9/22】
もう、どうでもよくなった母校からの同窓会会報が届く。いちおう、目をすっと通してごみ箱へ。でも、今回はそうはいかなかった。私が卒業した高校の商業科がなくなる。私が高校の情報処理で学んだときのマシンは昭和45年製の富士通FACOM230-10といって、母校が、清水の舞台から飛び降りる気持ちで買い込んだマシンだったと察することができる。
私は例題に従ってフローチャートを書き、それをタイピングの機械で見よう見まねで紙テープに打ち込んだ。もちろん、フロッピーの「ふ」もなかった時分の話し。だれが今日の現状を計り得ただろうか。現在高校での「商業科」というものの存在意義がなくなってしまったのだろう。でも私は会社で毎日、パソコンをブラインド・タッチで軽快にキーボードを叩き、表計算ソフトの恩恵を受けている。無意味ではなかったのだ。

【97/9/21】
天高く…風立ち濡れて?季節は秋。ギブソンのJ-45でも弾いてみようかな。
時はながれて、物が壊され、また新しい物が建ち、ヒトが去り、あたらしい顔ぶれが揃う、限られた記録だけを残して、時は瞬間に立ち消え、しゃぼん玉のように、予感は産声をあげる。新しいヒトを愛そう。それの有り様はそれほど新しいスタイルではないが、今日の秋の空の色が僕の足下へこぼれて、薄墨の過去を消すことを始めているから…。

【97/8/17】
インターネットごっこを始めて一年が経ってしまった。そういや、当初は莫大な費用にめんくらったモンだ。モデム、マックのメモリ増設、電話回線、(ついでの電話機)、プロバイダの契約、ミディの切り替えのためのスイッチボックス等々..そして、その後20日ばかりでたちあげたホームページも一年が経つ。いつのまにか要塞のようにでかくなった..「ちょっとやそっとじゃ読み切れないホームページ」とはどれだけの価値があるのだろう….今でも、決して多くはないが、来訪者はつねにある。ありがたいこっちゃ。このページ、赤の他人にはどう映っているのか…。

【97/8/16】
京都では大文字の送り火。ご先祖さまが隊列をなして霊界にお帰りだ。京都は午後8時、大の文字に火がともる。「大江」の「大」だ。
ホームページのテキストファイルに従来からmac標準添付のsimple textというエディタを使っていたが、このページのような大量文字の場合にはやたら遅くなるので、jeditというフリーのエディタを使うことにした。いろいろ便利だぞ。
以前から、"The Chang"は知っていたし、CDももっていたが、先日友達から借りた"Day Off"はなかなかいいぞ。あぁ、こんなギター弾きたい。僕はどこまで行けるのだろう。最近よく自分の限界について考える。
お盆休みは家にいて、デモテープをつくったり、車を洗ったりだ。近所のとおりをものすごい勢いでお坊さんが爆走していた。檀家回りだろう。「書き入れ時」っていうやつだ…。
夏よ、はやくどこかへいっちまえ、という気持ちと、あぁ、もういっちゃうの?という気持ち半分やね。少しでもよい思い出を残しておかなけりゃ。
もう一発、日記をホームページ上に置いている人に某大学の心理学者からアンケート依頼が来たぞ。山のような設問で大変くたびれたのだ。該当者は冷やかし..(まずい)いえいえ答えてやってくれ。8月22日まで。
http://mind.psy.senshu-u.ac.jp/~yamasita/cgi_bin/diary.html

【97/8/12】
いよいよ終戦記念日を目前にして、暑さもコレデモカというふうにいやになってきた。職場の諸君もあつい、あついを連発、うるさいっちゅうに。ちょっとでも涼しく、と冷たい麦茶をのんだりしていると、若い女性社員がやってきて、金銭の収受のさいに指がちょっと触れた。またパロマのこんろのようにぼっと火がついた。だってちめたくて、やーわらかいんだもん。帰りのバイクもこれまった暑い。それでも風があるからどーにか、と思っていると信号待ちのおねーちゃんのジーパンの腰のラインからなにやらぱんてーのふちのような白い物が…こんどは湯沸かしのように汗がでた。 でも夜はすずしいぞ!レンタルCDを返しに行ったら外はなんて極楽、涼しいのだろう。あぁ、もうちょっとの我慢。それでも女の子ちゃんがむちむちしているのはいい眺めだ。そしておれはおっさんの卵だ、文句あっか。

【97/8/11】
久しぶりに7年ほど前のバンドのデモテープを聴いてみた。こっぱずかしい内容だが、処分はしようと思ったらいつでも出来るのでMDに編集しておさめてある。聴いてみて「むっちゃへたや」と思ったり「けっこういけてるやん、いまより上手いかも」という部分の両方がある。メロディの癖はもうこのときにこびりついていて、はっきりいって、若干の歌の女々しさ(笑)と曲想のおまぬけ度を除外したらいまと大差ないと思う。つづいていま、昨日作った曲のデモテープもきいてみた。う~ん、頑張れ、大江君。

【97/8/10】
友人の結婚式ということで大阪梅田の北野教会に行って来た。私はクリスチャンではないので詳しいことは分からないが、ここはアットホームで質素な作り。新郎新婦は目の回るような忙しさの中での、準備になかなか時間を割けないままの結婚式で段取りも十分でないもので、集まった人達も少なかったが、やはり結婚式はどれだけ二人にとってちゃんとした区切りになったか、が問題と思わせる一場面だった。
指輪の交換の時、なぜか「ウルトラマンエース」の事を思い出した。エースは北斗と南が「ウルトラタッチ!(やらしー、恥)」といって指輪をクロスしたら変身するんだ。でも「男と女が合体(あのなー)するのは好ましくない」とのクレームから、南 夕子はお月様に帰っちゃうんだぜ。しかたないので北斗は南の片方の指輪をもらって以後はひとりでさみしく変身していたんだ。くーぅ、泣けるぜ!他人事とは思えない…。

【97/6/28】
痛点閣通う劇場(…違う!、がんばれATOK8!)通天閣歌謡劇場が最近ますますマスコミにとりあげられる機会が増えた。これも「ふたりっこ」人気にあやかってだろうが、あの「通天閣の歌姫・叶麗子」と「ハリセン演歌」はやっぱりすごい。あの叶麗子の、頭につけた通天閣の髪飾り(電飾つき)をピカピカさせながら、熱唱、おきまりの部分でバタッと倒れるのはなんどみても過剰演出、おかしくて笑える。またあの客のあたまを「ヤーッ」とばかりにしばきまくるハリセン演歌も不条理で愉快だ。これと同じ事を高中正義にギターソロの最中にやってほしい。だってギタリストってなんでもありだもんね。
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【97/6/27】
世界でのアップルのシェアが5%を割ったそうな。米アップルの窮地はいうに及ばず、日本のアップルもひとにたとえたら胃潰瘍と下痢と高熱を併発している状態らしい。抜本的人事を!それでいて慢性的品薄、と日経流通に書かれている。たしかに最近店であまり数をみないな…。マックユーザーの真摯さに学べ。目を覚ませアップル!

【97/6/21】
歯が疼いたので観念して歯医者に行った。とにかくきっちりと歯磨きを実行してくださいね、と歯科助手のおねえさんに言われたので、とにもかくにも懸命にそれから血の滲む歯磨きをそれも歯と歯茎の境目に注意して磨いた。一週間して行ったところ「だいぶ腫れが退いてきていますので頑張って磨いて下さい」もう一週間して完璧だとおもったところ、どういうわけか「また汚れが付着してきていますからね、きっちりと磨いて下さい。大江さんは先週のようにちゃんと磨いたらできるのですからね」と小学校の先生のようにいわれた。くうっ。30歳を過ぎてこんな事を言われてるようでは….みなさん、歯を大切に。

【97/6/1】
今日、庭で葉っぱをひろってバックグラウンドにしてみた。Photoshop(LE-J)の使い方がようわからんので想定していたものと少し違いがあった。おイモみたいだ。でも、いいかぁ。因みに今度のトップのバックグラウンドは自分のネクタイだ。こんどはパンツも…などと考えている。 須磨での少年殺しの一件の犯人はまるでテレビドラマ。「サイコメトラー映二」(字はこれやった?)状態だな。それを地でいっちゃうとは….。世間のヒトは怒っているが、騒ぎすぎも犯人を喜ばせる事になりそうなので、警察の活躍に期待して、成りゆきを見守ることにしよう。

【97/5/25】
静かな2連休だった。 バンドの練習の帰りにジーンズ屋さんに立ち寄ったらスマップの「セロリ」が有線から流れていた。 山崎まさよしのカバーということだが、ローズの音色のなんと涼しげなことか。歌はピンで 歌ったらばれてしまう音程の不確かさだがそれはそれでそれなりにいい味。曲もいいし。
ホームページの模様替えをすべく頑張っております。(また?) で、しばらく更新はお休み。7月1日がめど。

【97/5/11】
2連休だった。ありがたいことだ。昨日の土曜日の晩、テレビなんか見ながらギターをポロリンと弾いていると、先日入ったバンドのボーカルの浅野氏から電話が入った。彼は比類なきお人好し?でよっぱらいだが、ひまなので昼のさなかから飲んでいるうちに、飲む酒がなくなったとのこと。真相は?と思いつつも、これは酒をかついでやって来てぇ~というコマンドなのだろぉ、ぼくもまた明日が休みということで付き合うことにして、彼が引っ越したばかりの新居に押し掛けることにした。
そんなこんなであがりこんで、ラムだの、バーボンだの、桂花陳酒だの代わる代わる飲んでいると、友達結婚式の2次会から奥さんが帰ってきた。かれはその新居に奥さんとふたりで住んでいる。奥さんもミュージシャンでボーカリストで、mint after dinnerというバンドでブリティッシュぽい渋谷系?のバンドで歌っている。旦那にしてこの奥様ということで、ふわっとしていて、とげとげしいところのない気持ちのいい女性だ。なんだか、うらやまし。
さて異種格闘技状態のアルコールが肉体を循環してきた。浅野氏も「記憶が彼方状態」に入ったので、「お酒がさめるまで休んでいったら」という夫婦を断って「バイク押して帰りますけん」と帰途についた。(実際ずっと押して帰ったか、というとそうじゃない。お巡りさんごめんね)そういえば人のうちに上がり込んで酒をのみながらわいわい言って過ごすことがとんとなくなったなぁ。大学時代は毎日がそうだった。学生手帳に今でもそのころの記録が残っているけど…結婚したら友達が遅くにふらっと寄れる家庭をつくりたいもんだ。
関係ないがきょう、また「ホット・ショット」がテレビでやっていた。以前にフルサイズをみているのでカットの箇所がまるわかりだ。それにしても吹き替えになると、まあ、違和感ばりばりやね。かといってオリジナル音声のままだと、ほとんど訳がわからんし、ああ、つらいとこやね。

【97/5/5】
季節が変わった、という気がした。ストーブはもういらない、という確信を得て、縁側でストーブの残りの灯油を使いきった。ひどく周囲がゆらゆらみえるほど熱気を感じた。セーターはまとめて洗濯へ。友達へ手紙を書いたり、髪の毛を洗ったり、銀行へ持ち込む書類を整えたり、身の回りを片づけたりして過ごし、また昼間は今年初めて車を洗った。白いボディが眩しすぎて、くらくらした。部屋では合いのシャツがどれもくたびれている、ひさしぶりに新調しようかな。
サクラの季節はもう跡形もなくなったが、いまはつつじが目を楽しませている。生きていることがほんの少しだけ楽しみに思える。ちょっと辛口な孤独がいつのまにかずっとうまくつきあいをしてくれている。こんな時期もあっていいか。
昔愛しあった女が月末に結婚するときいた。いまは、それぞれに、今の瞬間を満たすべく、時は流れていく。自分は、どんなときでも自分を見失うまい。

【97/4/23】
ペルーの一件でにぎやか?な日であった。あれが「平和的解決」?だったのかどうか疑わしいが、関係者はごくろうさま,命を落とした人はおかわいそうに、などと、腑抜けのコメントしかできない。
冷静になってみれば、当然のシナリオか。誰一人として罪を背負って生まれてくる赤ん坊なんていない。なのに、ああいったカタストロフィ、果てた命、命、命。黙祷。

【97/2/20】
バレンタインデーにもらったチョコをちょっとずつ楽しみながら食べている。僕もチョコは嫌いでないので、義理にすがってボリボリやっている。以前は会社の女の子などにいろいろ貢ぎ物をしていたので、鼻血が出るくらいもらっていたが(バブルの時だったな)遠い昔、今年は兄貴の嫁はんなどが30歳すぎてぶらりんこしている僕に慈悲の心でくれたのだ。ああ、ありがたい….としみじみ。
以前につきあっていた女の子が熱心にケーキを焼いてきてくれたことがある。味はともかくも、その気持ちにじ~んとしたもんだ。なんやかんやいうて男の子はお腹を空かしたこまっしゃくれたガキなのだ。お口をあ~んとあけてバレンタインデーを待っているのだ。「虫歯になるからいらね~よ」なんてありつけないやつは言うのだ。僕は虫歯でも義理でもなんでもいい。その一日をどんな境遇でもいいから楽しみたい。


【97/1/29】
パソコンなんていらない? パソコンの普及がめざましい、ときく。私もせいぜいワープロ止ま りだったのが、いつのまにか職場に、自宅にも出現した。インターネ ットも興味を持ったので始めた。バラ色だ。パソコンはすばらしい….. ほんとかな? それに乗じて、か、パソコンを活用しなければ世間から取り残される とにぎやかに書き立てる人たちがいる。インターネット、インターネッ ト、と煽りまくる。果たして、そうなのか…そんなに凄いものなのか? 確かに情報の収集についてインターネットは強力な才能を発揮する環境 であり、また新しいコミュニケーションの手段ともなる。 しかし、僕はパソコンはひとつの道具に過ぎない、道具以外の何者で もない、と考えている。何が重要か、といえばそれはすなわち人間その ものなのである。やはり人間が生身の心をそそぎ込んでこそ、情報が活 力をもち、魅力をもつのである。私達が勉強して、センスを磨かなけれ ば、それこそインターネットの世界はまさに巨大なごみ箱と化してしま う。 同時に、道具、だからこそ素晴らしい。クラシックの著名人が「コン ピューター、あんなものはただの箱です」とボロクソにこき下ろしてい たのを見たが、「自分が嫌い」というのと「あんなものはクズだ」とい う概念を混同してはいけない。誤った使い方をすれば、という話なら分 かる。クラシックの世界でも、むずかしい記譜の助けをし、トレーニン グのよき友となるのがいまの音楽の技術だ。上手に活用すれば音楽をは ぐくむよい環境となる。また、そのような否定的な発想だけをもってい れば、コンピューターを活用してより人間の体温に近いものを創造する といったことも思いも寄らないだろう。 話を戻すが、パソコンを持たなくて時代から取り残される、といった 発想は間違いだと思う。それにも負けない技術なり、伝統なりといった ものがいくらでもある。そのようなものを無視して先へ進んでしまうも のならば、それは根付きはしないだろう。コンピューターは言うなれば 人と仕事との関係のようにごく自然に寄り添うべきものだ。そして興味 が向くのならリラックスをして気楽につきあうことを始めればいい。自 然に多くの人がそう流れて行くのだ。それを強制したり、恐怖を煽り立 てるようなことはどうかやめてほしい。

【97/1/18】
ちょっと忙しい毎日を送っています。このページもほったらかしです。休みになったらヒマでヒマで….といってる誰かさん、代わって下さい。

【97/1/8】
しばらくちょっと日記、という気分じゃなかったよお。正月三が日は風邪ひいて寝てたし…
今年は、つべこべ言わずジャンキー・ギター究めるつもりです。みんなもがんばろうね。
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