横浜安穏記(1997)

updated 1997.7.1
97年6月6、7と東京に遊びに行ったことを簡単に書きます。まる。
※山下公園のアイス売りのおばちゃん。写真じゃちょっとわかりづらいかも。

僕は金曜日の仕事もそこそこに片づけ、6時40分の新幹線の客となるべく、ホームにたった。滑り込んで来た列車の僕の席のよこには、行儀の悪そうなオッサンが居た。やな感じ….

2.5時間は居心地が悪かった。ビールを飲んでは転がすオッサンの吐く息が臭くて、ゲーが出そうだ。くうわくうわ、ちくわだの、さばずしだの、おかきだの、ちょこだの。ちょっとめまいがしてきて、デッキによろめきながら出た。きもちを鎮めて、なんとか席に戻った。なんとか眠ろう、と再三努力したが、なかなかうまく行かなかった。おぉ、ゆううつ。臭い…。他の席に移りたいが金曜の夜。そんなものはない。グリーン車、料金あほくさい。などと思っていると、オッサンは前のシートについているあの、弁当やら置くテーブルに足を載せている。おまえなぁ、くいもん置くとこやぞ、と思っていると、その足の先がぼくの席のほうにはみ出している。ほんまにうっとうしいやっちゃ。 おっさんが用足しに席を立ったのを見計らって、自分のテーブルをだして鞄を載せ、足がこっちに出せないようにした。やれやれ。ああいう行儀の悪い客は改札は通さないで欲しい。

東京の電車にはいろいろなヒトが乗っている。中央線の快速のロングシートで私は中国人の家族に遭遇した。わたしの左右と正面に居て、どうやら東京ディズニーランド(ずいぶん前ともだちが歌詞にデズニーランドと書いていた。いまだにおかしい。)の帰りらしい。母親らしき女性が子供を膝に乗せている。落ちつきがないのが子供の取り柄。私のGパンに何度か、小さな靴がアタックしてきた。親はおしゃべりに熱中してマシンガンのように喋りまくっていた。おしゃべりの内容はmai youしか分からなかった。ちなみに大学では第2外国語は中国語だった。そんなもんさ。

「恋の西武新宿線」という歌があったが、その電車で今晩の宿、10年来の友達、田中恒行邸を目指す。彼は京都で私と共にバンドでステレオギターコンビをつとめていたが、花の都に恋い焦がれて、鷺宮のアジトに潜伏中なのだ。君も彼の居場所を口外してはならない。

※東京の片隅、狭い空間に喘ぐ音楽。彼こそがTOKYO CITY MAN。

彼のアジト(しつこい)はゴミとカビの来たユニットバスと埃まみれのフローリングと手垢にまみれた68Kマックで窮屈そうだった。ここについた10時頃までなにも口にできなかったと言うと、近所のお弁当屋に行こうと連れていってくれた。ビールを買って、酒盛り。2時頃には電池が切れて、フローリングの上、微妙に臭う毛布にくるまって眠りについた。

次の日、所用の夜までヒマなのでつきあってくれや、ということで、横浜でも散歩するか、ということにして、東横線で横浜へ。横浜の地理がまったくわかっていない二人はまず、横浜の駅で降り、回りにビルしかないことに失望し、桜木町までふたたび電車に乗った。駅をでるとヒトの群が、黒く太く彼方につづいていた。「おお、これぞ、何かあるに違いない」と一緒に歩き始めたが、なんだか様子がヘン。もしかしてこれは、と僕が思い始めたはるかまえに彼は気が付いていたらしい。その「もしか」をかくにんするまでとにもかくにも歩き、「JRA」の文字を見つけるやいなやUターンをして戻った。


※上の写真、コーンポタージュや甘酒やおしるこがCOLDになっている。なんかの間違い?

気を取り直して関内まで歩く。途中にそれらしいものがないので今度はそこから電車に乗って石川町へ。やっとここに史跡やらがあることがわかった。地理さえ分かっていれば、真っ直ぐに此処にこれたのだが。

中華街はなかなかの人出だ。横浜に行く、と会社の人にいったら、「人の並んでいる店を選ぶといいよ、それなりの訳があるのだから」と教えてくれたが、時間のロスをしていたお陰で、昼時はとっくにすぎて人の列がない。同じような店がたくさんありすぎて、30分ぐらいさまよった挙げ句、飲茶のセットが2.000円の店にはいった。ビールを飲みながら、まさに時間の浪費。これに勝る贅沢は無し、とこの案配を失職中の田中氏と喜び合った。

山下公園にはジャグラーがいて、沢山の家族連れやアベック(死語?)が人垣をつくって盛り上がっている。しばしその芸を楽しんだが、あの集中力たるや大したもの。

だれだれの半日であったが、「男ふたりで来る場所でない」と田中氏がいう山下公園にあって若い男女も多分「ダレダレ」の一日を過ごしているのかもしれない。でも、まぁたまにはいいか。はは。田中氏とは横浜で別れた。かれはまたあのゴミの中?に帰っていった….。

今回の小旅行はもともと、インターネットでお友達になった荒木佳奈美さんのライブを見るのが目的だったのです。サウンドのファイルを耳にしたとき、びびっと勧は大当たり。そう、気乗りがしなければ3cmでも動かないのに、その気になれば300KMでも行ってしまうのがO型の宿命です。僕自身、東京へはライブをやるために来たことは数回あるけれど、ヒトのライブを見に来るのは初めてです。

新横浜の駅は以前はおさびし山の駅のようにきつねや狸が出て旅人をこまらせたものでした?がいまではすっかりおっきなビルやらなんやらが立っていました。スペースオルタは小さなシアター状態のイベントスペースで、本当はクラシックのカルテットかなんかが似合いそう。僕はライブハウスのお酒やフードというのが固定観念としてあって、ちょっと驚きでした。

出演は3組。1番目に3ピースのバンドがあって(まぁまぁ上手かった。いつもはボーカルがいて、急な用事ででれなくなった、とか。このへんが社会人バンドらしい)と次に生ギターの弾き語り野郎1名。

荒木さんは浜っ子で、この新横浜(よりちょっとさみしい方向らしい)を拠点に活動中のアレンジャーです。僕が思うに「好き」が高じて多分お仕事になってしまったんでしょう。「スベルティーノ」は彼女がピアノと歌で紡ぎ出す小さな街の名前。掌に乗るような小さな曲たちが軽やかに連なってライブは進行して行きます。ちょいと鼻にかけたうたごえもなんだか、30ポイント無償進呈!という感じ(?)で素敵でした。

※はぁい、パチリ。感激、感激。横浜まできてよかった。

ライブの後でご挨拶した彼女は、とにかくこちらがひいてしまうくらい陽気!というのが第一印象、お目目がくりくりで「だーっ」と笑う、で、ピアノは繊細でいて暖かい。う~ん、おそるべし。 記念にいっしょにお写真を~、と年甲斐もなくおねだりしてしまいました。ところで彼女、年齢はいくつなのでしょうか?

時間も頃合、横浜ではバスの乗り場がわからなくてちょっと迷ったけど、無事、アサヒ浜っこビールと驛弁の「シウマイ弁当」を買って夜行バスに乗り込む。土曜の夜ということでバスは2台のようだったが後ろの2号車で席も全部売り切っていないので比較的ゆっくり座れた。まぁそれでも座って寝るのは未だに慣れない。でも安いのだ。京都駅には6時前に到着。まだバスもろくに動いていない。家の近くまでゆくバスまでは20分ばかりあるが、ちょっと歩くことにしてあるバスで我慢。

帰り道で立命館大学の中を抜けていくと、街ではもう無惨な姿を晒しているつつじがまだ健在で頑張っている。空き地には一面の白い花が、路なりにはもう紫陽花が鮮明に映っている。朝のような空気がもうすこし長く続くともっとぼくは自分の街が好きになれそうな気がする。