Diary200301

2003/1/1
みなさん あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いします。

1日は例年のように実家へ帰っていたのですが、姪っ子クンたちに「人生ゲーム」をやるからと 引っ張られてしまいました。
私も幼少の頃は友人たちとこのゲームを楽しんでいたのですが、久しぶりに今日の製品を見て なるほどと思ったことが多数ありました。列記すると・・
・お札のデザインはそのままのようです。(こどもたちは 思わず2まんえん とか 10まんえんとか 言ってしまいますが 実際はドルですね)
・駒となっている車のデザインもそのままですが、今のものは車に差し込む家族のピンが緩く、すぐ抜け少し扱いにくく思いました。
・賭事に用いていた長尺の台紙はルーレットの傍にピンを差し込むカタチに機能統一が図られていました。
・職種が決まると、カードが発行され(タレント、医者、先生など)特定のチャンスが与えられると、転職が認められたり、先生ならば 校長先生に格上げされて お給金もアップします)
・昔「貧乏農場」と呼ばれてた場所(長者になれなかったヒトは其処に行く)はのちに「ゴーストタウン」と名称変更されましたが いまでは「開拓地」となっていました。

よくルールを読んでいなかったので、最近のルールが理解できていなかったのですが、よくかんがえたら不思議だよな~ と思ったのは
・信用はないが約束手形を使って借金ができる。しかもこの手形 支払期日がナイ。
・株券や生命保険は買っておけば、道中に損をしたお金を支払う可能性はあるが、最終的には配当金や評価益が手に入る。
小学生のオンナノコが札束を無造作に出して「アタシ、生命保険はいっとくわ」「株券ちょーだい」などと言っている光景は非常に不思議に映っているのでした。

ちなみに久しぶりにゲームに参加した私は要領も得ていなかったのか・・サラリーマンのお給金を貰いながら結婚をしたとたんにコドモが出来、車一杯にコドモを積載して 直ぐに借金を抱えて ゲームの後半になんとか借金を返済、手持ちも少なかったので家は買えず、順番も最下位、手持ち資産も最下位でゴールインしたのでした。メデタシ、メデタシ。

2003/1/2

ヒトは 何を理由にヒトを好きになってしまうのでしょう?

私の知るある人は充実した日々を送っていました。仕事は右から左からいくらでもあるし、勉強はいくらやっても追いつかないくらいあるし。寂しさも時にはあるけれど 日常の忙しさで直ぐにどこかにまぎれてしまうのでした。
そんな少しの時間に「いつのまにか 胸がときめくこともそうそうなくなってしまったねぇ」と振り返ってみるのです。「理想が高すぎるのよ、もっと目線を変えてみたら?」なんて それらしいアドバイスをくれる友人も居てました。自分自身には「あったかい気持ちさえもなくしてしまったかも」と問いかけてみたり。「自分の理想ってなんだろう・・」って考え始めると「たばこはキライ」とか「近くに住んでいるヒト」とか、まったくくだらないものしか思い浮かばない・・。

時間が流れて 出会った大切な とある人について ネジを巻くように またその人は考え始めました。「いままですれ違ったヒトと 何が違うのだろう?」とそのヒトの顔をのぞき込んでも 大した理由はありませんでした。確かにたばこは吸わないけれど 住んでいるところもそうそう便利な距離ではないし、これといって特別な趣味があう訳でもないし・・。
だからといって、自分はそのヒトをすごく必要としているのは確かだし、会っている時間はとても貴重な大切なのであって・・・。

もちろん 幾つか出してみる条件も大切なのですが、ひとつのごくごく自然なことがらの下に置いては 一歩引いてしまうのではないかと思うのです。
全てのヒトに共通すること とは厚かましく言いませんが、その人については間違いなくそうだったのであると・・。
さて、ごくごく自然なことがらとは何だったのでしょうか・・?

2003/1/3
 ちょっと前にスーパーでKIRIN「爽聞茶」1リットル入りが が山積みにされた54円という価格で売り出してあったのを三本買ってきました。
この製品じつは「夏限定」製品だったのですね。秋も終わろうかという季節だったので このハズシ具合が向日市のスーパーだよな と思っていましたが、兎にも角にも香料の個性をアピールするような特徴的な味わいに 非常に困惑してしまいました。私はジャスミン茶を好んで飲むのですが、この「爽聞茶」はコールド用で ホットにするとかなりまずいです。白茶(ぱいちゃ)が原材料として採用されていますが、結構好みが分かれるところでしょう、ウエッブでも美味しいという評と、まずい こんなもん飲めるかぁ~ という意見とまっぷたつに割れていました。
 ペットボトルのお茶で「万人ウケしない商品」が市場に出回ること自体 時代は変わったのだなぁ と思います。ユーザがマニアックな中国茶を「聞き」分ける日常が 決して極端なことであり得ない 香りに対する衆人の理解や感覚というモノが 従来と大きく変わりつつあるのだと言うことを知り 改めて驚いているところなのです。

2003/1/4


 どうも系統だてて物事に臨むという能力が備わっていないようで、年始にあれこれ「今年はこれを」と思ってみるのですが、結局混然とした状態で一年をすごしてしまうのですが ミナサンは如何ですか。能力以上の事を希望していることも間違いかもと思うし 誰が見てもこいつには無理だろうという事が目標として居座っているのかも知れません。そんななかで小さな単位で達成できることを幾つか持つのも賢い選択かとも思います。

 あらたに取り組んでみようと思うことの一つにwebのアプリケーション開発があります。いまでは多くの人がperlで書いた自作の掲示板・チャット・ダイアリーなどのCGIのプログラムを無料で配布しています(私も厄介になっています)設置の基本的な知識があれば、自分でプログラムを書かなくても優秀な仕組みが利用が出来るので私自身「これは知識としてはもう必要なかろう」と思っていました。しかし、最近 仕事の上でWebブラウザを使って情報交換することは 世間的にもごく一般的になってきました。しかもその大半は仕事の特性に合わせたカスタマイズされたものでなければなりません。こうなると やはり自分で作り上げるしか手はないのです。しかもニーズは限りなくたくさんあるのです。

 私はこのHPにも書いているとおり、4th Dimension(4D)を開発に用いていますが、4Dは別途にCGIを書かなくても4DそのものがWebサーバになるため、データベースをWebに公開してWANなどで利用する場合にとても都合がよいのです。ですが、通信の仕組みなどはインターネットの基本的なプロトコルによるものと変わりがありませんからやはり例えばUNIXコマンドなどは知らないより知って置いたほうが遙かに良いわけです。だからperlのさわりくらいは勉強しておかないと、とエエ年をして思ってみる訳なんです。本職でなくても敏腕のプログラマはweb上でもウヨウヨ居るので(しかも自分の年齢の半分くらいの学生クンだったり) いまさらperlで「おみくじ」のプログラム(笑)なんぞ書いてみるのはとっても恥ずかしい事なんですけどね・・。

 あと凄く前から気になっていながら着手出来ていないのは作詞の勉強。非常に奥が深いし、書くヒトそれぞれによって例えば詩境なんていうものも異なるし、これといったソフトも思い当たらないし。(というよりカリキュラムを自分で作るしかないと思う)一年で完璧なカタチにするというより これは何か始めるというふうにして置いた方が良いと思います。自分なりの手順書みたいなものが出来たら良いな、と。あとは氷河の如く問題になっているギターの事かな。ギターの演奏ってね、苦手なんですよね。なんてギターやってるのかな、って思います(笑)もちろんうまくいった時はハッピーだけどね、落ち込む事のほうが遙かに多い。それに 出来ることより出来ない事のほうが遙かに多いし。だから今年は練習するぞ!っていうのじゃなしに ギターを如何に単純に好きになるか。・・誤解を招くようかも知れないけど、そんなふうに思っています。

 ・・あとは他にもスキムを高めることとか メンテナンスの事とか 考え出したら色々ありますよね。でもそれって1年でどうこうなるものでもないものも含まれている訳ですから、3年や5年掛かる取り組みでもこの1年の分はこういう段階で、というスキームの青写真を持つということに意味があるのではないかしら と思ったりする訳ですね。そんなわけで身体を壊さない程度に張りきって行きましょうね。

2003/1/6
 今朝阪急電車に乗り 珍しく腰掛けたところ 暫くして右隣のオッサンが酷い貧乏揺すりを始めました。それがとても小刻みでシートのクッションに振動が伝わってきて気持ワリイ。隣席の迷惑を顧みない無神経な振る舞いとさかんにメンチを切って見せたが構う様子は一切ナイ さらに激しい膝の運動は続く。果たして何の意味があってあの動きなのだろうか。
 とにかく素性の知れないヒトとくっついて隣に座るのには勇気が要る。ふてくされて席に着こうとせず立っている御仁はそれなりの訳があるのかも知れない。

2003/1/7
 社用で祇園の下河原にお葬式に行った。と 現場に足を運ぶと 丁度「祇園 ひさご」の近くである。私は会社に電話して「きょうの社食 スマンがキャンセルっていっといて」(ほんとうは頼んで置いたら喰うのが道理なのだが、きょうは特別)腐るほど長い間かかって焼香を済ませると丁度昼休みも半分終わったころで、ひさごへ。4名ほどの短い行列が出来ている。

 「ひさご」は口コミや情報誌で親子丼が有名になった店で、店に入るとお品書きをみずに「親子丼」と注文を取る客が多い。席数12ほどのちいさい店だが、ここに限らず京都にはこういったこぢんまりとしたうどんそばを食べさせる店が多い。

 みたところ何の変哲もない親子丼なのだが、実に侮れないやつなのだ。この親子丼に出会うと、日常如何にマズイ親子丼を食しているか 落胆し 嫌になるくらいだ。ありがちな親子丼は卵の下の部分がタダのシル飯になっていることが多いが、「ひさご」の親子丼は丼の中の各部の相関関係は抜群に良い。総じて口当たりが柔らかく、それでいて味はしっかりしている上に、素材の良さを決して殺さない。そしてそれは 最後の一口まで期待を裏切らない。

 とはいってもやはりこの料理は親子丼なのである。その当たり前の中に強かな充実度を抱いて「きょうのお昼はひさごだったよ」と誰かに洩らしたくなる逸品なのである。850円也。

http://gourmet.yahoo.co.jp/gourmet/restaurant/Kinki/Kyoto/guide/0102/P010928.html

2003/1/8
 年賀状のやりとりには本当に骨が折れる。年末の忙しい時期に他人の手を煩わせて(なぜ他人の手を煩わせるか それは僕の年賀状を貰っているヒトにしか分からないだろう)年賀状をあたふたと作り、年末の多忙な時間の中、印刷には決まって徹夜の作業となる。お正月ともなると寝正月、のはずが今度は着いた年賀状の整理。例年「もう来ないだろうからやめ」と思っている先から来る。アドレスの変更を入力したりしているとあっという間に三が日が過ぎる。ばたばたと仕事に舞い戻った頃に年末に慌ただしく出した年賀状が転居先不明で2枚、3枚と帰る。転居通知くらい送れ!と引き裂きたくなる。

 これと同様に面倒極まりないのはバンドのDM。クレセンツの場合になるといつも数百枚をプリンタで出すことになる。(でも客は50名も集まらない)他にも資料を送ったりで出す定形外など これも面倒。とにかく郵便の類はだいっキライなのだ。折角用意したのが出し忘れていたりで何時までも残っていたりする。今後は曲のデータは全部パソコンにすべきだ。年賀も、DMも全部メールだ。それを想像してもなお面倒に思う。プロのミュージシャンにでもなって事務所が全部面倒を見てくれるようになったら話が早いがね。あーあ。

2003/1/9
最近疲れているせいか、この類のやりとりが多くなった。

・会社にて
オオエ「ドナドナって、どんなんかな~ に似てるな」
部下1「そんなんイマドキの子は知りませんよ」
部下2「そんなことありませんよ、音楽の教科書にちゃんと載っています」
オオエ「仁鶴がか?」

:ばにのお姉ちゃんと
オオエ「最近エエなぁと思う男性のタイプは?」
ばに「私はミヤサコかなぁ」
オオエ「宮川左近?」
ばに「??」

作り話のようだが実話である。週刊実話

2003/1/10
 余所のガキほど可愛くなく 憎たらしいモノはない。日常生活でガキと接触する機会があまりないのだが、スーパーで、電車で、デパートで。素行の悪いガキと注意しない親。とにかくチョロチョロしてたらあぶないっちゅうのに。キンキンした声でわめきながら狭い通路を走り回りよる。一遍バンドマチックで梱包してヤマト宅配の送り状をはっつけて荷受け場に放り出してみたい。

 最近 特徴なのは 最近の若いコたちって、すごく歩くのがゆっくりなのです。通路などで一列になっちゃうときなんかは、そのぶらぶらと通路のどまんなかを歩いている中学生らしき子たちの後ろにズラズラと行列が出来ているんですよ。ゆとり教育と デフレ経済の恩恵に預かっている毎日が当たり前になっちゃうがために ああいうふうになってしまうのかな と忙しいおぢさんは思ってしまいますね。否 こっちが忙しいと余計にイライラしちゃうわけでございます。

2003/1/11
 休みの夜には自分の好きな酒の肴など作りビールなど飲んでます。今晩はスーパーで海老とホタテとチョリソを買ってきてフライパンで焼きました。ホタテはバター焼きに、他は何にもなくても十分。

 チョリソについては我が”Crescent Eaters”で「おいしいチョリソ」なんて曲にして演奏しているくらいですから知っている人は知っているとは思いますが、メキシコ名物のピリ辛ソーセージの事です。「おいしいチョリソ」の主人公は偏執狂のようにチョリソに激しい恋をします。ピリ辛ソーセージの辛みがつけては行けないところに火を放ってしまった、彼はチョリソの名前を連呼しますが、非常にこれが情けなくて愉快なのです。でも嘲笑っているうちに観客は知らず知らずのうちにチョリソの虜になっています。

 この「チョリソ」の由来は バンドマスターの北野の店が昔「おいしいチョリソ」というメニューを出して居た歴史に見ることが出来ます。当時の私はたかがソーセージに相応に値段が付いているのが不思議で、それをからかう意味で この曲を作りました。うまいソーセージはそれなりに良い値段がするものと気が付いたのはちょっと後のことでした。
 ひとつのものをテーマにしつこく、しつこく最後まで追い回す楽しさは谷川俊太郎先生の作品に見られる手法ですが、私も僭越ながら 模倣をさせていただいて楽しませて貰ったお陰で、バンドもきょうまで続いており 感謝をしているところであります。

2003/1/12
 5日・12日はCrescent Eatersのレコーディングでした。まー なんちゅうか、まず歌は歌うモンやないというのが率直な感想。スキーの初心者が無理に滑って怪我したといいますか。これからこうてもらわなあかんんのにこんな事いうたらあかんのですけど。ま 歌をやるのなら顔洗って出直せ というのが自分に向けてのメッセージですなぁ。本当に何をやっても並以下ですから 嫌になります。その並以下があれこれやりたがるから ますます迷惑にもなっているのですが 懲りずにどうかお付き合いをお願いします。

 ところでレコーディングの現場ですが、基本的にはマックとミキサー、これで殆ど間に合ってしまっているのを見て改めて驚いてしまいました。数年前のレコーディングではシュルシュルとビデオテープが回っていたのですが、完全デジタル化となった今では 頭出しもめちゃめちゃ早いです。(あたりまえやけど)で、もう音楽の機材の話になると 全然ついてゆけないです。ソフトの名前なんとてんで知らないし。ただ、現場では200万もするようなPro ToolsとG4の組み合わせが大変ポピュラーになっていてね。どっからそんなお金湧いて出るんだ!と思いますが。トーシロの人でも案外気軽に自宅でミキサーとマックがあれば、ちょっと気の利いたものは出来てしまうそうですから、まったく空恐ろしい時代になりました。それなりにプロの人の知識や情報量も格段に上がっている訳ですからね、僕等のような輩には とてもついて行けなくなるのは トーゼンといえば 当然な訳でございます。

2003/1/13
 昔から出来ないかな、と思っているのは作詞の手順書。歌詞を作るのって結構奥が深いですが、結構マニュアルを作ることは出来るんじゃないかなって思っているんですよね。とにかく既存の作品を解析すると(自分のも 他人のも)定型的な手法というのは見られます。あまり作為的になりすぎると直ぐに嫌味になってしまうと思うのですが、紙ベースでなくても、アンチョコ、これは用意してみる価値はあると踏んでいたりします。
 むかし阿久(悠)さんがネタ帳みたいなのを付けていましたけど、これはノートに時事の事や世相のことなど情報収集しているようでした。大学ノートに、それも恐ろしい冊数があって。

 歌詞はあいかわらず悩みます。満足ゆくものはほんのひとかけらしかないし。行き着くところはウタゴコロがあるかどうか これですけどね。ウタゴコロという抽象的な表現に含ませたもの、これは実に大きくて。このコトバはこの人しか出てこない というのに価値があるような。最近のヒットソングの歌詞なんてみれば、アンチョコ以下ですよ。戒名みたいなものでしょう。だれでも書けるじゃん、あんなの。以前はもっとみんな苦心して歌詞を書いていた。作詞家を目指す書生さんみたいな人がいっぱいいて。いま作詞家だけじゃ喰っていけないよね。

いけね。また年寄りの苦言ととられても可笑しくない書き込み。嗚呼。寝よ。

2003/1/14
 島津製作所の田中耕一さんのノーベル賞受賞が報されたとき、同じ中京の企業人として胸がすっとするような思いがした。平凡にして奇特な人物像もマスコミにはたいそう面白く映ったようで 瞬く間に時の人となったようである。オオエさんは田中さんに似ているよねぇ と言われて、最近益々気になっている。
 功績からしてみれば、彼と比べればあまりにも無名で・・世間の研究者や 現場職の人たちは思ったに違いない。NHKの「プロジェクトX」なんて番組が結構好評で、テーマ曲の「地上の星」がロングセラーとなっているが、番組に出てくる人たちはみな 当たり前過ぎるくらい当たり前の どうみても街で見かけてもタダのオッサンとしか見られない 人たちだが、多分視聴者は 自分の時々の活躍を・・それは陽もあたらないような微かなものに過ぎないが・・一寸だけだぶらせて見ているのでは と思う。
 同じ番組に登場した OMRONで自動券売機を開発したオヤジさんたちにも商工会議所で会ったのだが この人たちもどう逆立ちしてみてもやはりタダのオッサンにしか見えなかったのだった。
 何れにせよ ミテクレは凡庸、でも 後から来た人がちょっとのぞき込んでくれる未来を置きみやげにしてゆきたいと思う。そう思うにはちょっと早いかな。

 ちょっと話から逸れるが 昔はステージで電気炊飯器に尻をまくって跨ったらしい(その後はご想像にお任せ)田口トモロヲ氏がいまでは「プロジェクトX」であるから益々オドロキなのである。

2003/1/15
 ことしの日記がいまのところ 毎日 休まず続いている。(日記と言うが なんとなく出来損ないのコラム風)同志 辻川”PIE”みさ子クンが「ことしはまず体力作りからよねぇ」などと前向きにジムに通いだしたところ、思うところは皆同じらしく結構混み合っているのだという。まぁ、それも二月 三月すると もとの状況にもどって行くのだろうけど。

 この日記の書き込み用のCGIだが 何にしても更新の度にクソ重いGoliveを立ち上げなくても良いので大助かり、日記も捗ろうと言うものである。テキストエディタに走り書きのようにぱぱっと文章を作ってブラウザへ直接書き込み。う~ん デリシャス。これでいいのだ、天才バカボン。

 さて、一体 何時 息が切れるのでしょうね・・??

2003/1/20
 ちょっと間が空いてしまいましたが元気です。ここ数日の間に新しいiMacがやってきてデータの入れ替えをしていたのすが、ようやく落ち着きました。前任 ボンダイ君に引き継いだときはそれほど気にならなかったのですが、今回は流石にデータの量も圧倒的に大きく時間と手間が掛かってしまいました。
 始めてこのマシンを見たときに、やや、また オモチャのような、アップルめ、と思ってしまいましたが、実際使ってみると、結構首が自由に動かせるのは 使い勝手が良いものです。また意外と場所もとらず、結果として、私の机の上はとてもゆったりしたものになっています。
 いまTom WaitsをiMacで再生させていますが、こやつにはこういった泥臭いものがなぜかしっくりきてしまうのです。

2003/1/21
会社からです。いまヒルヤスミです。
カウンタは5900番をゲットしました。


「分身の術が使えたらいいのに!」と思うことはありませんか?
全部自分だから文句も言わないし、喧嘩にもなりません。
但し同時に腹も減りますし、同時に屁もします。

ご飯のときは合体して、一人分の食事を取ります。
でも考えると、例えば三人に分かれた場合、三倍腹が減りますね。
三倍の労働力を提供するためのエネルギーが必要なのですから。
化身の人たちは扶養親族にも入りません。
電車を待つとき、三人に分かれて三列をつくれば横入りを防げます。
号令の元、アビイロードのように横断歩道で隊列を作ることも出来ます。
バーゲンセールでひとり1個限りの商品を三個ゲットできます。
花見のときに化身に場所取りをさせることも出来ます。

この話、自分が複数居るという気持ち悪さは無視して考えてみました。

2003/1/22
 この日はトラックダウンに立ち会うため 終電の時間まで木屋町のラグスタジオに居ました。

 夕方 7時にスタジオだったので、それまでに、と思い、京都市役所横の「グリル・アローン」で夕食をとっておりました。とても馬鹿でかいオムライスがこの店の名物です。皿の上に 丁度「皿」という文字そのままのように巨大な卵色の物体が盛りつけられ、独特のソースが掛けられます。7時には閉店なのですが、間際に学生らしき客がぱらぱらと入ってきました。一応メニューは見る振りはするのですが、やはりオーダーは誰もただ一つ、オムライスなのです。

 好き嫌いもありましょうし、例えどんなに美味いオムライスでも あれだけ量があったら、食べ飽きるのでは・・と案じてしまいますが、それでも長年に渡って王者に君臨しているオムライス君なのですから、それでもなお人を惹きつける実力を持っているのでしょう。

2003/1/25
 新大阪へ行った帰り、JR線から阪急への乗り換えに山崎駅を利用してみました。

 意外と知られていないのですが、梅田以外でもっとも両線の駅が接近しているのではと思われます。距離にして200メートル強。但し夜に降り立つと 山崎駅はとてつもない寂しさで驚きます。
 連絡さえ良ければ 結構使えます。但し阪急の大山崎も各駅停車しか停まりませんのでご注意を。
(休日は急行・・急行と言っても高槻までは各駅なんだな。他の私鉄で言えば 準急とか 区間急行とかと呼ばれるのに等しい)

2003/1/26
この日、我が「Crescent Eaters」のライブでした。
来場の皆さん ありがとさん。

「ギターマガジン」などの定期購読を始めました。
忙しくてナカナカ書店にも寄れないギタリストに朗報!・・と思ったら。
忙しくて家になかなか早く帰れないので、運送屋さんから荷物を受け取れない!
たかが書物だから、ポストにポンと入れて貰えるものと思っていたら・・。
ペリカンさんは律儀に ハンコを貰う仕組みになっているそうで。
荷物預かりになっちゃって電話掛けたり、
配達日を指定したり、
その日は早く仕事を切り上げて帰ったり、
運送屋さんが来るまでは
風呂に入れずに待っていたり。結構面倒~。
なにやってるんでしょうね、まったく・・。

2003/1/27
「けだものっ!」

さて、日活浪漫ポルノのひとこまでしょうか、はたまた 
本宮ひろ志(古)のマンガの一こまでしょうか。
こういうのって、理性の世界を逸脱した 
本能の赴くままの行いを戒めるコトバに使うのでしょうね。

とあるご町内に 仲良しの二匹の犬が居ました。
チワワの雄犬と、白い大振りな雌犬の二匹。
いつものように散歩の途中でお互いの飼主が遭遇、
会話に花が咲いていたところ、ふと気が付くと
雌犬にチワワ君が腰を使い始めていたのでした。

雌犬さんのお尻にも到底届くはずがありません。
それでも意に介せず雌犬の後ろ足に向かってチワワ君は波打っております。
チワワ君の飼い主 見かねて「よしなさいっ!」と
慌てて雌犬君を引き離したところ、
引き離された場所でそのままチワワ君は
腰を使った波動のままでずっといたとのこと。
両方の飼い主 あまりの滑稽さに お腹を抱えて随分笑ったそうです。

さて、人間である以上は、チワワ君のように
ところ構わず腰を使ってはいけないのであります。
職場でそのような行いをすると
たちまち「女性少年室」のコワイおばさんがやってきます。
でもアホウな私は
「僕がもしチワワだったら・・」
と 思ってしまう事がたまにあるのです。

2003/1/28
こんなやつおった筈やで。
運動会の綱引きの時、しかめっ面をしながら全然力を入れていないやつ。
・・案外 運動会だけじゃないかもね。