Diary200411

2004/11/2

イラクでの日本人人質殺害事件について考えてみる。
迷惑かどうか、という話になるが、
実は迷惑、と思うのは受け止め方次第なのである。
判断を間違ったのにしろ、不意の天災にしろ
誰かの厄介になる経緯になるというのは至極当然なのである。
もちろん誰かを助ける側にもいつだって回れる。
迷惑、と思ってしまう心はさみしいものだ。

人は一定確率で間違える。
間違えたものは間違えた事を教え諭し
しかも全力で助けるのがあるべき世界の道理なのだ。
間違ってもミサイルをぶちこんではならないのだ。

否、彼のとった行動は無計画で無防備だったかも知れないが
間違いであるとは僕は言い切れないのである。
だれだって、この目で確かめて、というシュミレーションはするものであるし、
イスラエルからイラクへ流れて行った彼の道のりは
誰かが思うようにただの興味本位で浮ついたものであっても
目を背けたり、取り繕ってへりくつを通したり、
自分の良いようにまがいものの神様の事でよからぬ方向へ煽動したりという
そんなつまらない人たちの所作とは別物に僕には映るのである。

2004/11/6

久しぶりに曲を書こうと思って机に向かうのである。

げげ。
真っ白なのである。
そういえば、プライベートで音楽を楽しむ時間がなくなっていたなぁ。
ライブにちょっと足を運ぶ程度で。
iPodとか持って歩いてるか、家で充電してるだけ。

反省大である。
そんなことはやめてCDでも引っぱり出してみるのである。

2004/11/7

以前ダレスバッグについて書いたが、
あの時購入したものが重くて会社への行き来が辛く思えたので、
サイズ、寸法ともにさらにしっくりくるもを市内でオーダーでやってくれるところがないか探した。
結果、北大路に「ボストン鞄店」というところに行き着いた。
店に足を踏み入れて圧倒された。
これだけ足を棒にして歩いて、
そうそう見当たらなかったダレスが店に溢れかえっていた。

鞄はカチッとした渋い造りで、フニャフニャの品物など一切無い。
鞄は大丈夫でも金具がポキッと行かれてしまう品物が多い中で、
ここのはばっちりである。
皮の見本もたくさんあって、これというのを選ばせてくれた。
これぞ職人、という親爺さんと娘さんらしき女の子が来る日も来る日も、コツコツやっている。
そればかりか、決まって新しいモデルを発表し続けている。
「うちのは30年もちますさかい、まぁ10ねン経ったら見せに来て」と言う。
定年もへったくれもないのであろう。
いきいきと品物に生命を吹き込みつづける。

過日JRの社内で隣席の初老の男性が、
そこの鞄をしっくり抱いて座っているのを見た。
ごく自然に目にとまった。
店の鞄はもの言わぬ看板なのだ。

納期は一月だという事だが、まだ待っている状態である。
気長に待つのである。

2004/11/22
30代最後の夜である。
事情は置いといていま着物に袴をつけた姿でパソコンに向かっている。
そうか、あの阪神大震災から10年になるんだ。
僕は、この10年を忘れない。
謝意と感謝を持って今夜は見送るのである。

2004/11/26
世の中には色々な人が居るもんだ。

電車通勤を始めて数年経つが、昨日も奇妙な光景に遭遇した。
髪を金髪に染めたパンクロッカーの成れの果てが
怒鳴りつけながらCDを蹴飛ばしていた
商業ロックだのハナクソだの、罵声を浴びせかけながら
暴れているのであった
その声の大きさと異様さに
乗客は、我慢我慢、と思いつつじっとしているのであった
彼はそのCDを三千円出して買ったらしい
蹴られたりしながらCDはプラケースがぐしゃぐしゃになっていたのであるが
勿体ないから聴いてやるよ
などと言っているのが聞こえた
桂の駅で駅員に囲まれなだめられ
それ以降はぶつぶついいながらシェケナベイベーとか言っていた
彼は茨木まで帰るらしい

異様な光景ながら、例えば場末のライブハウスでは
あれに類いすることがまだあるのかなぁ、と思う。
なんにせよみっともない話で
音楽やってる連中はみなクレイジーだと
誤解など招かぬようにお願いしたいところだ