月を見る。

多くの仲間たちが「この先どうなっちゃうんだろう」とか、
ついつい、深堀してゆくうちに
SNSでは誰かと誰かが激しく罵り合うことや、
いろんな意見や推論、
嫌気がさしてしまったり、
塞ぎ込んでしまうことも。

そんなふうになっているんじゃないかと。

でも、思うんだ。
政治家でもない僕たちが、
なすべきことは、
「一緒に月を見る」ことなんじゃないかなと。

https://toyokeizai.net/articles/-/346226?page=1

昨晩、晩酌でヨメに
「今後をどう生きるかイメージある?」ときいたら
「私はコンパクトに生きたい」
と返ってきた。

僕にはその時点では答えがなかった。
だれど、それも一理あるな、と感じるし、
僕自身、時々、身軽になるように工夫してきた。

月を見る。

もちろん、自分の大事な人についてもそうだけど、
疲れている人たちと、月を見る機会が
ないより、あったほうがいいんじゃないかな。

一緒に見られなくても
「きょうは月が出てるよねー」
そんなメールの一行でもいいんじゃないかな。

音楽と足並み揃えて生きてきて、
今回は打ち砕かれる思いもしたけど、
奏でることは、月をみることと同じ働きがあるかもしれない。

そう感じて、明日も
ゆこう
試そう

みんなも、時には悩まずに、自分をシンプルにからっぽにできる時間が訪れていますように。
その時間が、明るい絵の具の色でいつかはみたされてゆきますように。

それと、
バトンが回ってきたので、ひさびさに一曲書きました。

歌はやっぱり芳しくなくて、
結果ぐったりしたけど、すすんで自分に通信簿つける行いも、時にはいいのかな。

「いらないもの、いそがないもの」

折れ線グラフの どこにいるんだ?
空を見るのか うつむくのか

閉ざされたのは 勇気ですか
旅に出るのは 延期ですか

さみしい布切れの世界に さまよいあるくあなたが
いかれた歌に射抜かれて 堕ちてゆく後を追う

いらないものを、いそがないものを
求めてたんだ 生きてたいんだ

廃れた町のくずかごに 全部捨ててしまった
すべてが音のない夜中に はがれ落ちる前に

いらないものを、いそがないものを
求めてたんだ 生きてたいんだ

いらないものを、いそがないものを
求めてるんだ 生きてたいんだ