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ミツマメ2周年

4月30日

2年前

ソロアルバム「ミツマメ」のリリース日。

平成の最後の置き土産と思って、

それから少し羽を休めてと思っていたら、この有様

ひさしぶりにこのトレーラーも聴いてみたけど、

やっぱりよい、

なんてったって、

歌声がとってもいいのだ。

ヴォーカルは、いろいろに活躍されている人だけど、

僕はそのどれよりひととおりのこの美しいヴァリエーションがとっても好きだ。

ここにたどり着くまでのいくつかの人生的オーバーラップもあって、

たくさんの方々にも助けていただいて、

音も、長らく、

作るならばココと決めていたマザーシップで

キョート的なキュート的な匂いもしっかり確認できるトラックがパッケージできて

もう僕自身少し音楽家のはしくれとして、

もうすこしいたらいいよな、と思わせる存在なんだよ。

いまのこの世間にそれぞれにいろいろご意見もあると思うけど、

結局窮屈であることにはかわりないよね。

そこがようやく突破できた!と誰もが思える日が1日でも早く訪れますように。

また帰ってくっからな!

またがんばんべ~

年賀状

顔は知っているけど、住所はしらない人が増えた。
SNSのやりとりだけで済ませてしまえる。
会社も安全上名簿を共有しなくなったこともあり
年賀状の数も減ってきた。

引越しを機に取りやめてしまう人も多くいるかもしれない。
家内も出さないと心に決めて実行し、数年が経過している。
僕自身、数が減りあまり重荷にはならなくなったので、
これはこれでと思っている。

かりにお商売している人ならば、顔つなぎのために
形だけでも繋げておこうと思うかもである。

もらった年賀状の中には、
今年で最後ね、と書いている人もいる。
人の考えも変わるのだろう。

多くはいらないのかも知れないが、
人生を四季に例えると秋の中にいる。
今はいくつかの協力者を大切にしなくてはいけないと思う。

アダムの肋骨

現在準備中の浜田裕介の新譜のタイトルである。
昨年の年末前後でこちらの作業はほぼ終わり。
あとは浜田さんとエンジニアの新玉君次第なのである。

今回はギターのみならず、オルガンやエレピ、
などの鍵盤類も少なからず弾き、
打ち込みもガンガンやってみた。
キーボードは長いフレーズも弾けないので実態はツギハギ、
本職の鍵盤屋さんにとってみればナメた真似と思うのだが、
僕にとってはライブハウスに出るのも行くのも
思うようにいかない状況の大いなるガス抜きにはなって
結構楽しかった。

このところの彼のアコースティックな感じと対極にある雰囲気なので是非手にとって楽しんでいただきたいと思う。

かなり入れ込んでやっていたので
終わってからの空虚感が半端ない。
やっぱり、こんな時だからこそ
何かに打ち込んでいないとダメだな、と思う。

なごり雪

BSフジの「名曲!旅の詞 ~日本全国 歌碑めぐり」を見た。
藤野とし恵、椎名佐千子、岩佐美咲の3人が、伊勢正三=ショーヤンの「なごり雪」のふるさと、大分の津久見を訪ねるのだが、
取材が終わったら、町のあちこちのスポットをバックに歌う、というシーンがあった。
(女性のキーにあわせてイルカのバージョンだった)
その強引すぎる展開に思わず目をそらしてしまったがごめんなさい。
やっぱり演歌の人が歌うと微妙にこぶしが回るのよね。
津久見の駅も、普通の片田舎の駅という感じであり、この曲が好きな人はかえって現物を見ずにそっとしておいたほうがいいのかもしれない。


「なごり雪」はイルカさんのほうも石川鷹彦さんと松任谷正隆さんのふたつのアレンジがあって、
シングルでよく聴かれるのは後者。
Wikipediaで調べると、あの地味〜なドラムはポンタさんらしい。
だが、あのカンカンカンという最後のサビ前のタム回しは大好きだ。
雪がちらちらと舞うが淡く融けてゆくさまをイントロのエレピはよく表現していると思う。
歌詞もいまさらながら美しい。名曲中の名曲である。
私の知人も「カラオケでは最後に絶対歌う!」と言っていた。
そんな人も多いのでは。


ショーヤンにはいくら印税が入ったのだろう。

巣篭もり中

相変わらず巣篭もり中。

米大統領選の不正云々の話だが、シリコンバレーには優秀な企業がたくさんいるだろう?投票には複数のメソッドを併用して不整合がないかソーシャル・セキュリティ・ナンバーを利用して相互に照合できる仕組みを用いれば、、と思うのですがことはそう容易な話ではないのだろうね。

新型コロナが感染拡大を始めた頃に海外で着ぐるみを着て闊歩する輩がSNSで見られたがいまおんなじことを思う。
目、鼻、口、性器などの粘膜を防御すればいいことだと思うので、着ぐるみまではいかなくても昔の宇宙服みたいに頭部をカバーすれば、と思う。

そこでフルフェースのヘルメットみたいなのがこれ。的確だと思うのだがみかけないのはなぜだろう?
https://www.asahi.com/articles/ASN783WHJN77UHNB00J.html

まえざわよしこ#2REC

おなじみの和邇のボスコミュージック
まえざわよしこの2nd REC。
4月に録音するつもりなのだけど、ちっせぇ僕は時期を伸ばしてもらって、
6-7月に2回、私のパートを録音させてもらった。
きょうはすこしコーラスも入れた

浜田裕介にしても、
まえざわ君にしても、
ここにきて創作の手をまったく緩めないのは、ほんとうにすごいな、えらいな
と感じる。

6月のときも、きょうも二日間とも時に雨がひどくて、
途中を越えてゆくのがなんとなく大丈夫かな、って感じだったけど

案の定、土砂崩れの跡があった
ガードレール曲がってた。
復旧ごくろうさま。

それでも、やっぱり
今年になって、
空を毒が回ってる感じがする。

僕らは毒味をしながら歩いている感じだよね

ホストの子達も、
風俗の女の子たちも、
もろもろも、
きょうはどんな気持ちで空をみつめてるかな。

僕は最近になってやっとギターが触れるようになってきた。
このままゆけるような、そっとと思ってる。

そろそろ曲つくらないと。

ボスコミュージックrecにゃうにゃう

Shozo Oe(@shozooe)がシェアした投稿 – 2020年 7月月10日午後9時43分PDT

月を見る。

多くの仲間たちが「この先どうなっちゃうんだろう」とか、
ついつい、深堀してゆくうちに
SNSでは誰かと誰かが激しく罵り合うことや、
いろんな意見や推論、
嫌気がさしてしまったり、
塞ぎ込んでしまうことも。

そんなふうになっているんじゃないかと。

でも、思うんだ。
政治家でもない僕たちが、
なすべきことは、
「一緒に月を見る」ことなんじゃないかなと。

https://toyokeizai.net/articles/-/346226?page=1

昨晩、晩酌でヨメに
「今後をどう生きるかイメージある?」ときいたら
「私はコンパクトに生きたい」
と返ってきた。

僕にはその時点では答えがなかった。
だれど、それも一理あるな、と感じるし、
僕自身、時々、身軽になるように工夫してきた。

月を見る。

もちろん、自分の大事な人についてもそうだけど、
疲れている人たちと、月を見る機会が
ないより、あったほうがいいんじゃないかな。

一緒に見られなくても
「きょうは月が出てるよねー」
そんなメールの一行でもいいんじゃないかな。

音楽と足並み揃えて生きてきて、
今回は打ち砕かれる思いもしたけど、
奏でることは、月をみることと同じ働きがあるかもしれない。

そう感じて、明日も
ゆこう
試そう

みんなも、時には悩まずに、自分をシンプルにからっぽにできる時間が訪れていますように。
その時間が、明るい絵の具の色でいつかはみたされてゆきますように。

それと、
バトンが回ってきたので、ひさびさに一曲書きました。

歌はやっぱり芳しくなくて、
結果ぐったりしたけど、すすんで自分に通信簿つける行いも、時にはいいのかな。

「いらないもの、いそがないもの」

折れ線グラフの どこにいるんだ?
空を見るのか うつむくのか

閉ざされたのは 勇気ですか
旅に出るのは 延期ですか

さみしい布切れの世界に さまよいあるくあなたが
いかれた歌に射抜かれて 堕ちてゆく後を追う

いらないものを、いそがないものを
求めてたんだ 生きてたいんだ

廃れた町のくずかごに 全部捨ててしまった
すべてが音のない夜中に はがれ落ちる前に

いらないものを、いそがないものを
求めてたんだ 生きてたいんだ

いらないものを、いそがないものを
求めてるんだ 生きてたいんだ

手紙

なんども、

本当になんども見るんだよね、この動画

「電撃」もしっくりくる

「引退」でなく

ましては「卒業」でもない、「脱退」

僕なんかにとやかく言われないとは思うんだけど、

勲章だよね、たぶん、きっと。

日常というシールを剥がされた気がする

めくられた気がするんだよ

めくられたその隙間から、見失っていた青空が見え隠れしていた。

僕はもう大丈夫だ、と決めて、捨てていた気がする。

すり減っていたことさえも

気がつけなかったような気がする。

と思った人は、

ハッとした人は、

僕のような人は

多くなくても

いくつかいるんじゃないかな。

遅いかもしれないけど

帰り支度

はじめたよ。

せめて

歌をありがとう

伝えておくよ

年の瀬

一年の最後など
迷路の曲がり角の一つにすぎないと笑われるかもしれないけれど
それでもそんなとき
あなたの真綿の歌にあたたかく包まれた
いい夜だった

悪ふざけしている間に
砂混じりのおままごとになった
そんな一年だった
育ち盛りの季節が過ぎ去った後ろめたさで
ほおを赤らめた彼女はビールのグラスに指をそえる
深い意味はないがそれだけで本当にいい絵になる

いまも楽しげな歌が僕の中には流れている
それが乾杯の合図なんだよ

そろそろ、
年の瀬に
あばよだ

来年も
よろしくです