New Orleans 滞在記(1993)

“New orleans Jazz & Herritage Festival”
New Orleans 滞在記(1993)

….ミシシッピの河をどんぶらこ、どんぶらこ、と下って行くと、パカッと広がる海の直前になんだか ガッタガッタ(清志郎風に言え)年中ドカドカうるせえ街、これがジャズの故郷、ニューオリンズって訳さ。そんで、ジャズっていってもぉ、上品なジャズから下品なジャズまでいろいろある訳さ。
アフリカから引っ張ってこられた奴隷の皆さんは此処ではフランス人の領主のお慈悲で週に一度だけコンゴ・スクエアって広場でどんちゃんしていいっていうからさぁ、まあそいつら図に乗ってにぎやかにやってるうちに皆さんのおつむはハッピーにぶちきれちゃった、って訳なんだ。分かるかい?そんでもって黒人さんのもつ腰をグリグリいわすようなリズムとヨーロッパのやっこさんのもつメロディや文化が目出度くドッキングしちゃったそ~なんだわ。

Second Lineってイッテもねえ、日本じゃありがたい優秀な葬儀屋さんがいるから出番がないんだろうけど、ニューオリンズじゃ、爺さんポックリいっちゃったら、3回つまんでお焼香したり、茶碗おとしてパリーン!なんてしない。棺を担いで町中を練り歩き、その帰りにはマーチングのシンコペーションの効いたリズムに乗って踊るわ、反るわで大騒ぎ。いえいえ、新興宗教じゃありませんことよ。大まじめなんざんす。

そんでもってそのリズムに代表されるスタイルが「セカンド・ライン」という訳です。ニューオリンズの音楽は、つねにこのリズムを意識しています。有名どころではアラン・トゥーサンやミーターズ・ドクター・ジョンやネヴィル・ブラザース・・など数え上げたらきりがないのです。しかしながらどこのレコード店に行っても売場は圧縮状態で、入手できる種類もそれほど多いモノでは有りません。

どこかしら、賑やかでなんとなく懐かしく、ほのぼのとした味が魅力の音楽と、さらに新しい音楽が混在し、ふつふつと湧き出しているいつも賑やかな街です。機会があったら耳を傾けて欲しいと思います!

“New orleans Jazz &Herritage Festival”

毎年、4月末から5月にかけて、New orleansの街はいつもに増して、♪の渦中にあります。

“New orleans Jazz &Herritage Festival”は既に26回(だったっけ….)を数えていますが、 期間中はアメリカはもとより世界中からミュージシャンが訪れ、朝から夜まで熱い演奏を繰り広げるのです。私も3年前に期間中に訪れ、短い期間でしたが楽しんで参りました。www上では数多くの 熱心なレポートがありますので、詳しいことはそちらを覗いて下されば僕が話すよりも確実な情報が得られるように思います。

機会があったら訪れてほしい、と思うと同時に、僕自身も次回訪問のチャンスを狙っています。

旅の日記

「にゅーおるりんず・なんにもしらんでえ、みぎもひだりもふぉんくやでえ」状態で行った、という 1992年の旅の記録です。友達の新婚旅行に、後輩の女の子と私と4名の珍道中、懐かしい思い出です。文面にあれっと間違いに気づいた、ニューオリンズ通のあなた、私にメール下さい。どうぞよろしく。

4月24日
大阪伊丹よりソウル経由、(korean air!)
ロス、デルタ航空にてニューオリンズ入り

4月25日
「ヘリテッジ」第1日
♪Inpriational Gospel singers
♪Mr.salsa gonzalez
♪Chapmaine Nevile &Friends
♪Huey Lewis &News

4月26日
「ヘリテッジ」第2日
♪Allen Toussaint
♪Ima Thomas
♪The christianaires
♪Dr.John

「ティピティーナス」にて
♪The Neville Brothers

4月27日
フレンチ・マーケット散策
「タワー・レコード」にて
♪Donald Harrison
♪Dirty Dozen Brass Band

4月28日
コンベンション・センター(trade show見学)
オーデュポン公園散策

4月29~30日
帰路

4/24

お金のない貧しい僕たちは、きむぽ空港経由24時間耐久空の旅へと旅立った。機内の時間はめちゃくちゃで、右から左から機内食、喰った喰った、人間ブロイラー、korean airの機内食はパワー満載、 お寿司、サラダ、焼き肉、豆ご飯、フランスパン、バター、オレンジジュース、沢庵、カラシ味噌、ワインなどがひとつのトレイに乗ってお出迎え、気分は既にボーダーレスだ!乗り換えたデルタの激甘ケーキには永久歯が腐って落ちるし、珈琲は宇宙最強のまずさ、ああ、日本人でよかった。

4/25
この日は早速「ヘリテッジ」会場のフェアグランドへ。以前、NHKの番組で紹介されたシャーメイン・ネヴィルという女性シンガーが僕の最大のお目当てだったのだ。もっとファンクぽいものを想像していましたが、結構じゃじーな路線でしたね。
この日会場の最大のアクトはあのヒューイ・ルイスでしたが、米粒よりもさらに小さくのみ程度で ステージより数百メートルはなれた場所ではいくら背伸びしても無駄って感じでした。そんなことはみんな気にせず、思い思いの格好で楽しんでいるみたいでしたけど。

喰った、喰ったルイジアナ名物。ガンボ(オクラのシチューのようなやつ)やレッド・ビーンズ・アンド・ライス(金時豆を塩味で似た奴をめしの上に何の恥じらいもなしにぶっかけたやつ……見た目は..君の想像通りのもんです)も喰った。

朝食はPo boyとよばれるサンドイッチの化け物で、こいつを毎朝むさぼり喰うわけだ。格段に安く、でかく、どう転んでもお腹は膨れます。フェアグラウンドで旦那が喰っていたワニ肉のやつがちょっと怪しかった!

しかしなんといっても美味しいのが生ガキだぜ。(バンド名にもしてしまった)1dosが6ドルで喰える。それもたまげるほどでかいぜ!ただしお腹がpiiiiiiiiiiiiiiiiしても知らないよ。旦那と真理ちゃん(同行の女の子)はおこられていた。僕も脅されていたが、おかげで異変はなく、きょうも元気だ。

4/26
この日はライブ三昧だ。フェアグラウンドでアラン・トゥーサンやらドクター・ジョン(ニューオリンズ・ピアノの第一人者。日本で言えば北島三郎!?)やらアーマ・トーマス(ニューオリンズの歌姫。今はおばさんになっちゃったか。)やらを見て、最後はあの老舗のライブハウス「ティピティーナス」でのネヴィルスのライブ(25時からのショー。日本やったら考えられませんな。この後、3時からのステージもあったらしい)と、日本やったら「艶歌・華の競演」と謳えるくらいの豪華メンバーをじっくり見ました。

ホテルは905royal Hotelという小綺麗な洋館(海外なので「洋」はあたりまえだが)でした。バーボン・ストリート(博多で言えば親不孝通り……適当かな?)に近く、足場は良好。但し部屋の鍵はお粗末なもんで、貴重品は常々身につけて歩く羽目に。2部屋に分かれていたが、これは居間と寝室のような関係で、人の新婚旅行で有るにも関わらず、ベッドの寸法の関係か、大江さんは新郎と寝た (睡眠だぞ)のでありました。
4/27
この日は市内観光。タワーレコードではCDを数枚買いました。(この頃は京都市内でニューオリンズ関係のレコードを買える店は京都タワーレコードのみでした)真理ちゃんはかねて持参のダーティーダズン・ブラス・バンドのCDに、プロモーションで店に演奏に現れた彼等にサインをもらってニッコニコでした。しかし現地で間近に聴くジャズはすごいな。気迫が違う。

…..サウス・ホスピタリティという言葉があるそうで、よく働き、親切でまたハートフル。京都人よりよっぽどお人好しでいいと思う。そして人見知りせずに話しかけてくる。渡米前は日本人なんかが行ったらこれみよがしに棍棒で殴られるように聞いていたが、人間色々。じんせいいろいろぉ~♪ あくどいやつもいれば、愛すべき人々もそこにあり。まずは島国根性を恥じることから始めようぜ。
4/28

この日は路面電車に乗ったりして郊外のオーデュポン公園へ。そのへんにはリスがおすましでうろちょろしているぞ!一匹も捕まらなかった。(捕まえてどうすんねん)

4/29-30

帰りは疲れたのでユナイテッドで…..という余裕もなく、また24時間かけて腰痛になりながら、無事帰ったのです。ちなみにこの日はロス暴動のあった日です。私たちの飛行機は…..その5分前に青空に吸い込まれていきました。

まとめてみよう

黒人音楽に気持ちがイッてしまうあまりに単なるえこひいきになってはいけないが、やっぱり黒人の作り出したアイデアがなければSmapも小室哲哉もないわけで、その存在は「六甲のおいしい水」のように喉の渇いた人は絶えず水の容器を持って泉のほとりに集うようなもんです。

彼等の音楽に慣れ親しんで私が手にしたものは、それはその音楽が「単に与えられるモノの享受」 に留まらず、「奏で、そして与えられるモノ」だからこそ価値のあるものになったのだと思う。

……やっぱり日常のハートウオーミングが大切よね。