Diary200406

2004/6/3

過ち。
これだけ色々なものが溢れて、
何もかも容易く手に入りそうな世界なのに
やっぱり一度失われると手に入れられないものがあるし、
決して消しゴムで消せないものがあるのだ。
だからこそ。
その時々の振る舞いの大切さを教えてあげてほしい。
過ちを犯した人たちから。
それが供養の一つの実践では と思う。

何時も思う。
人はほうっておくと間違える生き物だから。
嫌われても
「だいじょうぶか」
「どうしたの?」
という問いかけが今とっても必要なんだよなぁ。

新たな酷い出来事がありませんように。
そのためにあなたが、僕が
出来る限りの役目を果たす事が出来ますように。
それは特別なことではなく、
きっと身近でありふれたものにも含まれている気がするんだ。

2004/6/28

イラクの主権委譲が行われた一日であった。

同胞の意識、とはなんだろう。
野球の話になると、空気感染したかのように、私たちの多くはタイガース贔屓で、
もちろん次のオリンピックでは日本の選手団など応援してしまうのだろう。
高校野球では、やっぱりおらが町だし、
知人が選挙に出ていれば、政界への関心も湧くだろう。
そういった単純な仕組みで多くが出来ている。
同時に同胞の意識から外れたその見えない障壁の外側へ
意味も無く冷たい風を送り込んでしまうのもこれまた真実なのだと思う。
海外での飛行機の事故で、死者の中に日本人は居ません、と報じられて
嗚呼、タイシタコトナカッタな、って無意識に感じる
そんなとき、あれっ、なんだろうな、って。

わたしたちは生活信条の違う、宗教の違う、肌の色や言葉を違う、
そういった人たちへのふれあいの前で無意識に立ち止まってしまうのだ。

どんな時も、忘れてはならないのだ、
違いがあっても、その前に、当たり前に
高くも低くもない、ヒトどうしであって、
そういったことをごく自然にうけいれられる心はとても幸福だし、
その逆は、間違いなく不幸な出来事を産むし、この世の間違いの多くは
そういった誤解から生じているのだ。

本来であれば居心地の良い同胞の意識から一歩歩み出て、
地球人として過ごす事が是からはふさわしいように思うのである。