Diary2001

2001/12/31

ついに大晦日がやって来てしまった。ここ数年12月ともなると一年を振り返る機会がないくらい。

2001/11/5

きょうは(きょうと言っても未明)ブロードバンドの話。

この方面はあまり強くないので(でも話題に・・)その辺は大目に見て下さいね。

周囲でもYahhoBB!を申し込む人が可成り多く、ブロードバンドも従来の回線の遅い、高い、繋がらない、というストレスの打開策として期待がますます高まっていると思います。

で、ASDLはINSから光通信への足がかりとして、INSが在来線、光通信が新幹線としたら、山形新幹線くらい?在来の電話線の相乗りをする恰好で高速大容量の通信を可能にした・・・とまぁこのくらいは小学生でも知識の中に入っているわけです。

やはり動画を十分なクオリティで扱えない、画像も大きなものは時間が掛かるといった制限の元では、インターネットはまだまだ玩具の域を脱してはいないのだろうと私は前々から思っていました。光通信が通信のスタンダードになった時その時に初めてインターネットも含めてITがなんたるかを実感することが出来るのではないだろうかと思います。

最大のポイントはブロードバンドが一定の完成を見た時点で通信の概念が大きく変わるであろうという事です。光通信が伝送してしまう情報量の大きさは単純計算するとINSの1500倍です。(実際は色々な条件が重なると思われます。飽くまで数値的な事でしょう)例えばCD一枚分のデータならばものの10秒あれば送り出してしまいます。現在のデンワ線で同様にやるとすれば数日掛かってしまうでしょう。テレビを凌ぐクオリティのテレビ電話なんて簡単にできちゃいます。常時接続のサービスを利用するとカメラさえあれば、電話線を介して、たとえば留守宅の監視などが簡単に出来てしまいます。そうなると、長距離電話なんて誰も使わなくなるでしょう。テレビ番組を添付してメールで送るなんてことも簡単になるです。

通信の概念が変わることは同時にデジタルデバイドを一気に加速させることにもなり、そこで持つものと持たざるものを引き離します。当然古いテクノロジーは衰退することになります。その中で大事なのは、新しい技術を受け容れる側を戸惑わせることがないように規格を統一すること。わかりやすく紹介するやさしいインターフェイスを開発すること、またそれを使って楽しく社会に役立てるようにアイデアをふくらませる事ですよね。私は何時も思うのですが、そういった中で最終的に生きてくるものは人の手のあたたかみやエニシといったゆるぎないもの安定した技術がもたらすものは実にゆるやかな私たちのシアワセそういったものが自然に目に見えてくることではないかと思うわけです。

2001/11/4

昼飯のカレーうどんをずるずると啜っていると、長ネギを巻いていた古新聞の記事が目に留まった。

今年の春に並木路子さんが亡くなって、それについての新聞の読者の投稿がふたつ。新聞は朝日新聞だった。あまりにも有名な「リンゴの唄」は、もちろん流行した当時はこの世にも生まれていないけど、メロディは確実に覚えているし、一番ならば歌詞を見なくても歌える。簡潔で口ずさみやすく、誰でも歌える。作曲についての真の技巧というものはこういったシンプルなものの中にこそ存在すると思う。ノスタルジィではなく、昔の歌には流行歌はこうあるべきという逞しいポリシーがある。今の歌に真の魅力がなかなか見いだせないのは昔の方法論に学ばず好き勝手にテクノロジーの中に遊ぶことばかりを覚えてしまった事によるのだろう。歌に限らず古きに学ぶという気風から今の日本の主流はどこか逸れてしまった気がする。

その文章にあったのだが街ではこの歌は暗喩である赤いリンゴは日本の事で黙ってみている青い空とは占領していた米国の事であるという評判だったという。もしそう見るならばサトウハチロー氏がこれは暗喩をしたというより暗喩と勘ぐれる事も出来るというふうに仕組んだひとつのテクニックであったのではなかろうか。歌の中では青も赤もイメージの中で比較的はっきりとした色彩である。曲調はマイナーだが、歯切れの良いテンポ陰影のはっきりしたものの融合焼け跡から起ちあがった私たちの情感と鋭くマッチングしたこの曲がたかが流行歌なのだがそれこそ流行歌冥利につきるというかその時を生きてきた人たちの心に根付いて離れないその重みは一体どういったものなのか当代のメロディメーカーにひとりひとり問いかけてみたい気がするのだ。

2001/11/3

それは時を遡る1989年の3月未だ浅い春の日の出来事。

実家に未だ居た頃、掃除に使っていたハンディタイプのモップのパッケージに次のような衝撃的なコトバが走っていた。

「私は、4週間したら、帰ります。それまでは、あなたの言いなりです」

・・・これは、ホームダスキンの正真正銘のコピーである。「マジかよ」と僕は呟いた。

当時の僕にとっては相手がダスキンとはいうものの、これはちょっとばかりどぎまぎしてしまった。

そんなわけで、このダスキンちゃんはきれいに、健気に、僕の部屋を毎日舐め尽くしてくれていたのである。(男冥利に尽きる話だな)・・といってみて何だかいやらしい気持ちになる。「あなたの言いなりです」と潔く言って見せるのも、やっぱり天職だからこそなんでしょうねえ。だけど待てよ、女の幸せってそんなものなのかしら。さらに、こんなんはどうやろうか「恨みっこなしよ。4週間限りの、シンデレラだもの」なんて不敵に言われてしまって、男の僕といったらやっぱりドアを小さく開けてそわそわしながらお前をぎこちなく待ってるだけ。ティッシュでさらっと拭いておしまいの関係なんて、街の男衆はそれで満足かも知れないけど、ぼくはごめんだね。だってお前はダスキンだもの・・・。

2001/11/2

メシも片づいてくつろいでBS2なんちゅうもんを見ていると映画の「潮騒」が始まった。山口百恵+三浦友和コンビのアレだ。当時僕は小学生であって、後に堀ちえみが主演したものもあったと思うが話題に乏しく、はっきりいって三島由紀夫の「潮騒」などといってもハーなんですかという若い衆も数多くいるだろう。そんな輩はほっといてしかも筋書きなどは一切説明せず当時最大の関心であったたき火のシーンだけを書いてしまうのである。僕ももとより全編を見るつもりもなくたき火のシーンだけを見て満足するとさっさとテレビのスイッチをぷちっと消してしまったのであった。

烈しい雨の夜約束の場所で落ち合う二人はまず三浦友和が現れ冷えた身体を暖めようとたき火をするその前で彼は眠ってしまうのであるそうするうちに山口百恵演ずる初江ちゃんが現れる濡れた衣服を渇かすため彼女は付けている服を全部とるのであるがカメラのアングルで誤魔化される全裸のシーンよりも極洗練されていない肢体の半裸の彼女のお尻の丸い線がなんとも生臭くて良い感じである。目を覚ました男に「目を開けちゃイカン恥ずかしいもん」と呼びかける「どうしたら恥ずかしくなくなるか」との男の問いに「そちらも服を取れ」と要求するわけである。こうして皆さんがご存じのようにフンドシをかなぐり捨てた男はたき火を飛び越えるわけだがここまで来て置いて「嫁入りの娘がこないことしたらイカン」と彼を拒むというまぁハタから見れば要求と拒否ばかりメチャクチャである。オナゴに「服をとれ」などと言われてラッキイ~スイッチオン!と思わぬ男はないわけで砲台にしこたま砲丸を詰め込んで導火線に火を放ちあと2ミリで発射というところで中止ということのようでこれを見ると僕は仮想のストーリーとはいえこの主人公にならなくてよかったと思う訳だ。

私は親父蔵書のこの作品を小学生の頃活字でもひととおり追った。仮名遣いなどが時代の雰囲気を喚起させる。たき火は物語を高揚させるための小道具であるがこのようにドレスアップはしていないストーリーではないのしろこれに似たような挿話も昔はいくらかあって海のおとことおんな野性的な秘め事を堪能した場面は歴史に残らなくとも存在したのではと思いを巡らしているのだ。

2001/9/29

いつもとなにも変わらない土曜日の朝、牛乳とパンなんぞ買ってやろうとスーパーにはせ参じるとなんだかいつもと違う雰囲気店内はまっくらでパイプシャッターが降りているうっかり開店前の時間に来てしまったのだと思ったが11時前いつもなら結構賑わっている時間と見てみるとB5判の紙に思いがけないひとつの言葉が踊っていた。・・「破産」・・

ここは私が此処に移ってくる少し前に改装して、日々買い物客で賑わっていた。日曜の朝にもなるとレジ周りは身動きが出来ないくらいで、それだけにこの出来事は寝耳に水だった。僕はここで日々の食料の殆どを調達していた。(いま家計簿を見てみると住み始めて2年の間に約¥209,000の買い物をしていたコトが分かった)昨日付けで営業が継続できなくなったということは察するところこの9月末がなんらかの決済の日になっていたということだろう。財産保全のためだろう店内の電気は止められているようだ。生鮮品は昨日の状態のままに違いない。

私の会社に出入りしている給食の業者の担当氏は自分の受け持ちの会社がある日突然こういったことに見舞われるものだという話をしていた。毎朝のように調理担当の女性が社員食堂で朝の仕込みをするべく勤務先の会社に出勤すると通用門は閉ざされ丁度おなじような状態で腰を抜かした。立入は許されず電気は一切止められ、食材は業務用冷蔵庫に幽閉されたまま数週間が経つことになった。ある日立入がやっと許可され撤収に参上したところ食堂の冷蔵庫の中は猛烈な腐敗臭で勿論数十万円分の食材はおシャカ最後に弁償分として分配された金額は被害額の5%にも満たないものであったという。

きょうもパイプシャッターの前で途方に暮れている男性が二名。債権者か仕入れ業者か商売というものがひとたび推進力を失ってしまうとなんて恐ろしい目に遭うことなのだろう。

2001/9/27

またもやアイスクリームロッテの「SOH」をたべながらである。なんとチョコレート味まで出てしまった。もう秋というのに・・。いま「今年最後かなぁ」と鼻頭をツンツンさせながらバニラを一個たいらげたところである。

テレビは連日同時多発テロ関連のニュースばかりであるが恥ずかしながらここで初めて中東の情勢とはたまた地理位相関係歴史などをはじめて理解したという輩も多かろう。かくいう私もそのひとり。望むらくは無血の解決それは夢物語か。いまは何より不幸にして失われた人たちのために祈ろう。肌の色も宗教も遙か越えひととして祈り、今まで通りの毎日を誠実に過ごすことがいま一番大切なのでは・・と思うわけだ。合掌。

2001/9/26

大安。きょうの大阪ドーム見たか!大阪近鉄のパ・リーグ優勝の瞬間。3ビハインドで迎えた最終回ノーアウト満塁からはじき出された白いボールがスタンド目がけて吸い込まれた瞬間ドーッという大歓声。こんな瞬間を迎えられるなんて選手もファンもなんて幸せなんだろう。試合は最後まで何が起こるか分からない努力努力しかない。努力とか根性とか手垢にまみれた言葉が今の時代においても民衆を魅了する理由がよく分かる。コトを処するにあたって最後まで希望を捨てず諦めない事やはり行き着く先はそれなのだ。いつのまにか中途で見切りをつけてあれもこれも投げ出してはいないだろうかじっと手を見る一こまであった。

2001/8/27

8月ライブ4連発も終わり疲れた肉体を癒しているところである。思うところ私も亦人也・・であっていっちょまえに煮詰まったりしているのだがモーニング娘。の新メンバーの子たちの頑張りなんぞテレビでみればアホな僕は「この12,13の小娘がこんなにキバっているのにテレビジョンエイジ元”新人類”の子育て世代がてめえの道を究められないなどアホな話はないチキショー噛みついてやるわい」とちょっとだけ勇気づけられ闘争心も無事平和に開発できるわけである。少年少女よ地球は回っているし、宇宙は時をいまも育んでいるのだ。自分のちっぽけで唯一である存在とやら自信をもって誰もの目に焼き付けられるように心してキバるだけだぜと。

あクサイ台詞だけど「自分を信じる」ってよくいうの自信ってそういう意味なのね。

2001/8/12

馴染みの美容師さんが山科に二号店を出したので見物がてら髪をカットしてもらいに行った。夜中だと30分もあればすっと行けるのだがさすがに日曜の昼間。特にボーッとしていたせいか六地蔵あたりを通ってしまいさらに渋滞に出くわし桃山-勧修寺へと回り道をし、さらに店の位置が分からなかったため(案内の葉書を忘れていった)1時間と20分も掛かってしまった。

外環渋谷のセブンイレブンの隣に出来上がっていたお店「曼荼羅」は一足踏み入れると「広いなぁ~」とただ驚き。思い切って大きなワンルームになっていました。什器も固定のものは避け、レイアウトを変えたりイベントに使えるようにも工夫されていました。内装やライティングも「商店建築ってやっぱ面白いんだよなぁ~」と唸らせるお客さんが待ち時間にソファーに身体をうずめたり出来るそういったちょっとした遊びがうまく生かされている気がしました。家の風情とかお店の作り方とかその人らしさが垣間見られるというけどこれはまさにそれでございまして店主藤田さんらしい柔らかでそれでいて知的でぴりっとした空間になっているようです。みなさま是非ご愛顧を。

※一号店のカペリのHP今後「曼荼羅」の紹介も。

http://www.capelli.co.jp/

2001/8/2

過日生徒学童の夏休みにも入ろうかという頃我が家に不思議なものが届いた。とある高校生の女の子の成績表がFAXからしゅるしゅると出てきたのである。どうやら送り間違いのようでFAXの送信元にはとある会社の名前が書いてある。果たしてそのまま返信していいものやらと思案してまずはいつもの「ヤフー」の検索窓にその会社の名前を入れてみた。すると案の定ヒット。どうやらこの会社の社長さんの娘さんのようである。(名字が同じ)何かの都合で自宅宛送ろうとしたのだろう。しかし余計なお世話だが寸評の先生の字が汚い汚い上に誤字が。「授業中に眠る」を「授業中に眼る」と書いてある。

通信技術が進化を遂げた今日個人情報がどこを一人歩きしているか分からないもしもの漏洩のときに備えて赤恥だけはかかぬように日常を処するように努めないとね。

2001/7/24

過日DM(郵便じゃなくて本当のメール)でついクリックしてしまってその結果結婚チャンステストなんてものが仰々しく郵送されてきた。まず診断された「あなたのお人柄」を読みあげてみよう。

「さからわず庇いあえる愛が理想で絶対的責任と信頼のもてる異性関係を望みます。あなたは知的で結果についてよく考え、理知的論理的な考え方をします。好奇心にみち社交性があるが虚栄的なところもあり現実的に活動するタイプです。客観的立場に自分を置きなかなか理論的ですが行動するより見ているほうが得意です。手堅くあぶななげなく着実です」

「まわりの事情や自分自身のことがもとで世の中からダメなやつといわれることを恐れます。自分に勝つ心は強いが失敗を気にします」「感情の幅が、広く、独自の意見はもたないが常識的な意見を述べます」「世間的な一般の社会通念をもち自分の世界を持とうと努めています。秩序を重んじ支配服従的タテ社会関係を原則とします」「表面は冷静で厳しく、意志が強そうです。内には活き活きとした感性をもっています」

ここまで読んで日常の僕を知る人は「うん、それはある」という部分と「それは嘘やろ」という部分と両方の感想をもったと思うのである。だいたい占いとかそういう類のものはこれと決めつけられたら大凡の部分は反論をやめてしまうものである。自分で自分が読めていないときや、自分をどう捉えるかは周囲に委ねていて良いことだと初めから決めている場合はあまり問題ではないように思うわけです。

もうひとつ「あなたに相応しい配偶者候補」むむう。職種は「エステテシャン」(エステティシャンじゃないのか?)年収300万の女性で趣味は「映画鑑賞・カラオケ・読書」(なんでこうも同じような趣味しかもたんのだうんざり)タバコ=吸う(いやや)興味の程度A-Cでガーデニングや楽器演奏や詩作はCやね。しかしこの「禅」という項目はなんやろか。いずれにせよ僕という点と候補の方の点の双方を結ぶ線らしきものが想像しにくいのは如何なものだろうか。

「興味の程度」の選択肢は野球・テニス・スキー・相撲・登山・ハイキング・ドライブ・旅行・競馬・競輪・麻雀・グルメ・ショッピング・楽器演奏・お祭り・からおけ・映画鑑賞・カメラ・手芸:演劇・読書・書道・俳句・詩・絵画彫刻・古美術・ガーデニング・そして「禅」となっているのだがニホンジンの若いモンの趣味がこの程度と思われている事が情けない。「忍者ごっこ」「破砕」「オープンハウス荒らし」「廃品回収」「慰問」「裁判の傍聴」「はし袋の収集」「オセロゲーム」「自転車の箱乗り」など思わず当人にあってみたくなるような変わった趣味の持ち主はないものか

相性などというものは決して機械任せに出来ないわけでこのテストの結果も間抜けである。

2001/7/16

「超整理法」という書物が書店に並んだのは1993年、早いものでもうすぐ10年が経とうとしています。当時はまだまだインターネットは実用段階でなく、あるものはニフティのパソコン通信が主だったものだったでしょう。その後のパソコンの普及はみなさんの知るとおりであるが、やはり紙ベースでの情報は廃れることはありえない。デジタル化が仇となって紙の情報とデジタルの情報が整理もままならないままデスクトップを占拠してしまっているヒトも少なくはないのではと思います。

「超整理法」で著者の野口先生が紹介された「押し出しファイリング」ですが、これを試みてかなりの数のヒトが失敗をしているに違いないでしょう。私もテストをしてみたのですがやはり訳が分からなくなっておりました。基本原理は大型の封筒の頭を切ってフォルダにして立て時系列で検索を可能とするという発想ですが、ものによれば数年間情報として持ち続けていなければならないものもありますから(参加している団体の約款とかがよい例)結局リストに何が含まれているか分からなくなってしまうのです。

私はこの主旨をちょっと歪めていまは次のように活用しています。これはそのライブラリを時系列でなく単純な検索のためだけのIDをふってゆくという手法です。つまりパソコンのカード型データベースを逆に紙ベースの世界に応用してみるわけです。

あなたの紙情報をまずは「超整理法」の要領で封筒フォルダに収めます。これに「ID」と「サブジェクト」を右上に書いて行くのです。この時、IDをカテゴリ別にしてはいけません。カテゴリに分けるのは隣で立ち上がりっぱなしのパソコンで行えば良いのです。パソコンには「超整理中」というようなわかりやすい名前をつけたデータベースを作成します。ファイルメーカーでもアクセスでもエクセルでも文字列検索機能のついたフリーのテキストエディタでもよい。

ファイルメーカーなどなら「実行期限」などのフィールドも設けて期限順に順列に出来るようにしておけばよい。封筒はつねにID順にならんでいるという鉄則を守ります。こうすると探し物をするとき画面上で検索してその番号の封筒を引っぱり出すことで済んでしまいます。一見じゃまくさいようですが封筒をいちいち繰っているよりは一目瞭然に早い。また既存のフォルダに追加してものを収めたい時もかなり楽です。パソコンが常に立ち上がっていることが条件ですが、定期的にリストアップしたものを紙にプリントして置いても邪道でもありません。しかしなんにしろパソコンのデータベースの検索機能にはかないません。「押し出しファイリング」をやるときに同じカテゴリの封筒が複数できてしまうのが悩みの種でしたが、この方法だと、検索をかけたときに候補の一覧が画面で確認できるなどカテゴリの整理などにも有利になります。

とはいえ自分の住処ではこのような事はとてもするわけではありませんが。職場で身の回りをすっきりさせたいと悩んでいるヒトには一度研究の余地があると考えられる訳なのです。

では今日はこのへんで。

2001/7/15

最近ホムペの更新が全然というかさぁやろーって気になかなかなれないのよねなんでか。周期みたいなものがあって、やるときは休日家の用事ほったらかして没頭していたりなんかするんだけどある時スイッチがパチンと切り替わって見向きもしなくなるしできなくなるでも傍目から見て更新を怠けているホムペほど頭に来る物はないんだろうからどうしたものかと思います。

ホムペをやっていてよかったなぁと思うこと。それは初めてあったヒトやちょっと知り合ったヒトなんかが見てくれて僕のことに興味をもったり話に乗ってくれたりしてくれることですよね。目立つのはいややけどなんとなく目に留まっていたいという私のようなヒネクレ者にはそれなりに役立つものだと思います。元来個人ホームページなんてなかなか興味をもったり時間を使って読んでくれたりすることはないじゃないですか。だからこうひと工夫してみたりするんだけどねぇやっぱり日記とかレコードレビューとか掲示板とかチャットとかプロフィールとかやることは一通り決まっているわけでしょ。そんな中でその意義たるやなんなのかいつも考えてみる。ジャングルライフの特集で取り上げて貰ったときに(70,000部だぜ!)自分のHPについて「名刺のようなもの」と書いたんだけどいまでもちょっと大げさな名刺のようなものと思っている。デザインとかはデザインの勉強しているひとにかないはしないしギターについて書いても僕はギターを弾くことで表現したり誰かに会うのが好きなわけで博学なヒトにはかないはしないでしょ。うーんだから名刺なのかなぁ。だからちらっと必要に応じて見て貰うだけで見ることを強要したりはしていないわけなんだ。

ホムペの更新をしていなくてもそれなりに感じるものはあって、今日は「教科書問題」の影響で日韓の親善や交流が次々と中止に追い込まれているというニュース。思うのは、教科書の問題は日韓の間でのたくさんあるなかのひとつの要素であって、親善目的の交流は民間レベルでの努力で続けられているものです。ですからそれだけにとてもザンネンに思います。お互いの関係の上でプラスに働くものマイナスに働くものそれぞれにありますが思い違いや偏った想いだけでせっかくの成果を台無しにしてしまうことがなければ良いなと思います。教科書の問題はデリケートな事ですが感情をむき出しにすることなく冷静に対話を続け解決の糸口を探す努力は怠るべきでないと思います。

前途の内容にも関連するのですが高倉健の「ホタル」という映画を見てきました。(タダ券もらった)宣伝や前評判ダイジェストのフィルムが勝手にイメージの中を先走りしてしまって善し悪しなのですが通してスクリーンを見ると私にとっては以外と地味な淡々とした作品でした。特攻隊の生き残り(ときいて「男たちの旅路」の鶴田浩二を想起するのは俺もおっちゃんか)という役柄がハマっていてさらにさきの特攻で戦死した先輩(韓国人)の許嫁を妻として迎えたというこのいかにも病弱そうな役どころの妻がこれまた田中裕子で好演でした。もう映画館ではおわっちゃったけどすぐそのうちテレビでやるだろうから見てみたら如何?それにしても特攻で戦死した子たちの多くには韓国人が含まれているらしいいまの僕たちにしてみれば他国の戦争でしかも自分から命を捨てることを任務として負わなければならないなど想像を絶する世界である。考えてみれば僕たちが戦中世代に育てられた最後の世代なのだ「戦争を知らない子供達」をとうに通り過ぎて「戦争を知らない子供達の子供達」が社会に出て活躍を始めている。語り部は誰がなるのだ。倉木麻衣に「わだつみ像って知ってる?」と問えば「へ?」という返事が返るだろうか?

4thDimension。(以下4D)Macintoshの環境下で動作するリレーショナルデータベースとはこいつとファイルメーカしかなくて、ちょっと欲張ろうとするとファイルメーカではしんどい。会社でも基幹業務系はカスタマイズされた4Dが稼働していて、個人でつくるものはファイルメーカー、全体では4Dというふうになっている。ファイルメーカーとは実によく出来たソフトで、プログラミングのノウハウがなくても、業務に必要なデータベースはサクサクできるし、とりあえず簡単につくっておいて、あとから機能を付加することも実に容易い。最近は製品のラインナップも充実していてモバイルとの連携も容易になってきているようです。最近会社の部内でも週に一回昼休み配下の子たちを集めて「ファイルメーカー教室」なるものをやっているのだけど「ヒトに教える」事が日常的にあまりにない自分がこれは良い勉強になると思っているんですよ。

で、4Dの話。ファイルメーカーは(現況では)リレーションのそれぞれのファイルが独立(たとえば名刺管理だと「会社ファイル」と「個人ファイル」が別々のファイルになる。)しているためディレクトリの位置関係が変わると途端に相手のファイルを見失うというじゃまくささもある。4Dはひとつのストラクチャっていう代物の中にそれぞれの要素をテーブル(HTML形式のテーブルに酷似)という形でぺたぺた貼ってゆきそのテーブルの連携する要素同志を矢印で結んで行くという作業から始まる。但し、スクリプト(メソッドと言う)はVisualBasicのようにイチから書いて行くことになるわけでファイルメーカーしか頭になかった私には初めはチンプンカンプンだったわけですよ「変数ってなぁに?」「この$ってなんのおまじない?」という程度で。で今でもあまり状況は変わってなくてプログラミングの初歩の段階において参考になるものが余りない。理由はただ一つ「マイナー」なのございます。結局頼りになるのは印刷するとタウンページのような厚みになってしまうPDFのマニュアルとメーリングリストが頼り。で、会社に懇願して個人レッスンを二度ほど受けさせて貰ったのですが、まだ分からないことだらけでやはり長い道のりであります。それでもやはり事務の業務改善にはデータベース系をいかに使いこなせるかということが基本的命題でございまして、まぁスワヒリ語で歌を作れと言われているわけでもないし、同じニホンジンが使いこなして居るもの。やってやれない事はなく、何時かは業務用のアプリケーションをバリバリ開発してやるぜ、と熱くなっている今日この頃なのでありました。

今年の年始(ごろ)からMDLPなんてものが市場にいよいよ出回りだして、技術的なことは余所にきいてもらったほうが良いんだけど、今まで以上に音のデータに圧縮をかけて同じMDに二倍四倍の時間録音をできるようにしたものが手にはいるようになったわけです。(74分の2倍であれば45分=昔のLPの演奏時間が三枚入る勘定)長年の集積でとっても嵩高くなっていたカセットの音源をデジタル化したいという私の思いはこのニュースを聞いていよいよ高揚ソニーのMDLP対応のデッキを買ってつまりMDへ落とすという作業が始まったわけですが、思いのほか時間がかかり3月頃から始めたものが4ヶ月経過した今でも終わっていなくて、いかに「いまもっている音源がすでにすべて観賞できる程度の分量ではない」かを思い知らされたわけです。曲数にして現在のところ8500曲。しかもカセットゆえ曲間のヒスノイズもございますので一度録音したディスクををプレイバックして曲の間のマーキングをやってゆくという気の遠くなるような作業が続きます。ですが、全部消化しないとこれまた気持ちがワルイのでありまして、有意義かはたまた無意味なのかまだこの作業は続きます。いまカセットが残り140本ぐらいになっていますので完遂の暁には紅白の餅でも配るかと馬鹿なことばかりを夢見ているのであります。

ということで文体文法主旨滅茶苦茶な文面ここまで読み切ったアンタは偉い。そんでもって温かい気持ちでやりすごして頂けることを何よりも願っているわけです。おしまい。

2001/6/10

更新が止まっている。

まだ吉野屋が今ほどの知名度がない頃に「吉野屋の牛丼はなかなかに美味い」と頼まれもしないのに唄ったのは三上寛というフォークシンガーだった。こちらは知名度も抜群であると思うが今日はロッテの「爽」というアイスについてである。この「爽」の感想を食べながら実況中継と思ったのだが、あまりにも溶けるのが早いので鼻の筋の奥が痛くなるのを我慢しながら興奮状態で一気に最後まで食べてしまったところだ。このロッテの「爽」の素晴らしいところはまろやかな中にしゃりしゃりとした食感が感じ取れるところである。昔ホテルで食後に出されるアイスがこういった味わいで「あー、この口どけは100円アイスにはないよなぁ」と感動したものだが、現代はなんということだろう、100円どころか近所のスーパーで二割や三割引で購入できてしまう。その気になればコンビニでも24時間手にはいる。まったく凄い時代だ。構造不況と言われる中、私たちはクーラーの効いた部屋でこんなにンまいアイスが食べられるなんて、なんて幸せなことだ。文句をいわば太鼓のバチがあたる。ててっ。

そうそう、「爽」の紙のカップの成形、よく見ると実に見事である。

2001/6/3

どうでも良い話というものがあるが、これもそのうちのひとつなのである。

自分の古いカセットコレクションの中に柏原芳恵の「春なのに」というのがるある。シングルカットされた「春なのに」の外、中島みゆきの当時のレパートリーの中から残り9曲をカバーしているのだが、久しぶりにこれに針を落とし・・ではなくてカセットの再生ボタンをぷちっと押してみた。中島みゆきファンのあなたならよくおわかりになるだろうが「夜曲」や「バス通り」などのリリカルなナンバーや、「ボギーボビーの赤いバラ」なんて遙か昔の素朴なナンバーがあってほほえましいのだ。がしかし同時に「ダイヤル177」なんていうどっぷり暗い曲もあり、またそれに輪を掛けて凄いのが「髪」であって、当時の中島みゆきが体現していたおなごの情念を自分なりに表現しようとしたのか、独特の雰囲気が曲の中に浮揚しているのである。それはまるで見知らぬ街でたまたま入った暗い居酒屋で酔っ払いのお姉ちゃんにねっとり絡まれているようなとってもいけない後ろめたい気になるわけである。

柏原芳恵の曲については以前にも書いたが意識無意識以前に既にまとわりついていたかのような歌謡曲が本来持っていたエロチックな響きを感じずにはいられないわけで、阿木+宇崎+アレンジ荻田コンビによる「ちょっと間違えた山口百恵」調の「ちょっとなら媚薬」とかその後の中島みゆき作品「ロンリー・カナリヤ」(最初に聴いたとき竹内まりや作品かと思った)など佳曲ぞろいである。頃合いで歌謡界の表舞台から消えていった人だと思うのだが、そんなことを今日久しぶりに思い出したのである。

2001/4/17

昨晩の事。遅くなったし、ご飯も炊いていないので四条の吉野屋に寄って帰る。片づけ仕事みたいな晩ご飯。草臥れた顔のサラリーマンが肉片とご飯のかたまりを無意識に流しこんでいるのがカウンターに並ぶ。ここの吉野屋は土地代も高いためか、カウンターにゆとりがないため、余計絵柄としてブロイラーなんぞを想像してしまうのだ。毎晩こんな食事をとっていたらいよいよ荒んでしまうかも、と余計なお世話だが、もちろん時に美味く感じる時もこれまたある牛丼の味である。

2001/4/16

分別ゴミの回収日だった。ラインナップの中にプラごみが増えたとあってストックヤードは大繁盛。ひとつ気に掛かるのは毎度見かけるおびただしい数のオロナミンCの空瓶。誰かが毎日2.3本ずつ飲んでいるのだろうか?それともオロナミンCの支持団体がこの土地に存在するのだろうか?なんてね。

昨日は昨年の残りのムカデの駆除剤を散布。春の風に舞い上がり目に入るのでゴーグルをしてやっていると駆除剤で服が真っ白に。ムカデは庭の石の下や草の下に居て夜になると家に入ってくるのですが、このクスリはその家の周囲のグルリに散布する訳です。かなり見た目不細工。

2001/4/15

昨日は合コンなるものを体験してきた。三十路のエエ男が束になってオオサカで淑女とご対面である。そういえば昔オオサカローカルの「プロポーズ大作戦」だったかフィーリングカップル5対5というのがあって、まぁこれはナニカというと知っている人は知っていて、知らない人にはどうでもいい話なので割愛するが、こういう絵柄は新鮮ですよね。公務員が企業研修とかいって、民間の企業で数週間働いたときのようなオドロキかな?なんのこっちゃ。人と接するというソフトづくり、まぁ、これがエエ歳になってから言うことでもないけど、大事なんだよなぁ~って思いましたね。勉強、勉強。

などと言うことを思いながらセーターにアイロンをかけていたのである。毛玉がやっぱり気になるね。

2001/4/14

(独り暮らしを始めて)はじめてセーターを洗ってみた。いままでは季節の変わり目になるとドカッと実家に持ち込んでいたのだが、「簡単やから一遍洗ってみなさい」と三十路のエエ男が母親に言われたのでホームセンターでドライクリーニング用の洗剤を買ってきた。準備に取りかかると口を切っていない洗剤がもうひとつあるのが分かった。以前にも自分で洗おうと思うところまでは行っていたようだ。

どっちみち全自動の洗濯機がやってくれるので、手間は変わらない。意外と早く洗い上がって、庭に出てものほし竿に形が崩れたり延びたりしないように綺麗に折って日陰に干した。桜の賑やかさが行き過ぎた緑の中。とても気持ちがいい。

2001/4/10

キャロルキングの「君の友達(You’vegottafriend)」を知っていますか?ナニワの嵐を呼ぶドラマー、東原力哉氏のセッションで橘いづみ(デビュー前)が歌ったのを見て(以前から知ってはいたんだけど)とっても好きになっておりました。最良のカヴァーはダニー・ハサウエイのライブでのもの、これは随分前にクレセンツの北野君が聞かせてくれたんですが、「ジンガイはライブがええの~」と唸らせるテイク(日本人のアーチストのライブって総じてザツになる事が多いですけど、洋版ってライブ盤がベストになっている場合が多いじゃないですか・・偏見かなぁ)で、逆にダメなのはマリーンの。これは変な4ビートになっていました。でもマリーンってすっごい好きなの。

友達って大事ですよね。男女にかかわらず。最近そう思ってます。

2001/4/9

春になると余計なものまで賑やかになる。家ですごく困る存在のムシたちが元気に身体を動かし始めるのだが、なにもいっぺんにあらわれんでええやろ、と思うが、今日は早速目の当たりにしてブルーになってしまっていた。百足に襲われた記憶も鮮やかなところから、今年は蚊帳を買うことにしている。それも小売りを探していると大変なのでネットショッピングだ。蚊帳の裾をベッドの下に折り込むとまずは安心して床につける。もちろん蚊帳としての機能も働くから一石二鳥だ。ノーマットや蚊取り線香とて自然界にないものであるから(蚊取り線香は昔は除虫菊を使っていたが、今はピレスロイド)やはりいらぬ殺生をしなくて良い蚊帳は機能的である。サーチエンジンで「蚊帳」について調べると良い。けっこうおもしろい。

2001/4/8

風邪気味で床に入っているとNHKで宇多田ヒカルのツアーのVTRを再放送?していた。ヒットチャートであまり好きな音楽は最近ますますないけれど、この人は別。とってもチャーミングですよね。思えば「自分らしさ」って誰かが与えてくれたり、お膳立てしてくれたりするものじゃない、誰か以上になるとか、自己顕示欲のためとか、「わたしはこんなけ頑張ってます」「奴には負けない」とか、そんなん音楽を聴く立場の人たちにとてははなっからどうでもよいわけで、ただ「・・自分らしくやればよい」「自分の音楽をやればよい」そういうもんだと思います。もちろん、マイペースで有れば良いということではなく、自分をじっくり俯瞰する余裕も必要だし、キープしてゆかないと。相手が何も言わないうちから勝手に結論を出してしまっておりますが、彼女を画面で見るたびにそんな事ばかり自分の事ばかり思うわけです。

2001/4/7

今日は会社の若い子たち中心に集まってくれてお花見。ちょっと花を見るには時間が遅いけど、ヨカッタ。ひとりぼっちでのんびりもいいけど、やはり人の気配、というのが良い心地。今年のお花見の最後のチャンスとあって町中もかなり混んでいたようだけど、皆様お疲れさま。

2001/3/20

こんな男の上にも春が巡ってきた。今日はお休み。隣のご主人が庭に出て硬直した土をサクサクと掘り起こす音が穏やかに響いている。冷たい空気の中にやわらかな日差しが割って入る。お花見の華やかな雰囲気も悪くないが、一歩手前の季節が大好き。

節目という言葉がある。材木や竹の節のことを言うが、人の歩みについもこれが大事で、節目のない竹があるとしれば、チューブみたいなもので実に弱々しいものだと思われる。強くて、しなやかで、節目のある竹が羨ましく思うときもある。ともすれば社会に出てしまった私たちは、自分の節目を見失いがち。

僕は厳しくて、強くて、やさしい人になりたいわけ。自分にも、他人にも。今はその身の丈がとっても間に合わないのだけれど、存在がとってもお粗末で間に合わないのだけれど、判って欲しい人の前では、せめてもの僕の気持ちの解説もしたいのだけれど。

いまとりあえずはっきりしているのは、もう春なんだよなぁ。

2001/2/6

HTMLの記述ミスを確認するために会社のウインドウズのマシンでここを見たのだが、Winのエクスプローラのウインドウはなんとも無愛想というか不細工というか「大半の人にはこの程度にしか表示されていないのか」と幻滅、である。特に僕自身としては最近のMacOS風のボタン(3D風で角が丸い仕上げ)をふんだんにプチプチ押してあちこち飛びまくっている気分なのに、Winとなるとしみったれた角形の申し訳程度のボタンが貼ってある雰囲気なのだ。さらに気にくわないのは丸ゴチックの出来損ないのようなMSゴチック(明朝)の画面表示であり、おまえ冗談やろ~、といわんばかりにフォントの表示が大きい。先日某エレベータの会社のサイトを見ていたところ、ヘッダの表示がこわれてページが見られないところがあり指摘したところ「うちはWINでネスケ環境でチェックしておりますゆえ」とのご丁寧な返事があったのだが、ディファクトスタンダードでお城は既に占拠されておりますゆえ、異論もヘチマもひょっとこも無いわけであります。

まっ、ただこちらとしては表示環境もふくめてやはり気分はMacOSなサイトなんであります。別にアップルを擁護するとか、贔屓するとかそういうのではなく、窓よ、なんとかならんけ、とさういふ話でありました。

2001/2/5

無事成人病検診も終わってバリウムの残党も排泄した私は意気揚々と帰途についた。

で、今日は烏丸御池(姉小路)に立ち上がった商業施設「新風館」にちょっと寄ってきました。以前より持て余されていたNTTの旧い電話交換所の洋館を、このたびNTT都市開発が仕掛け人となって手を入れて地上三階の商業施設に仕立て上げたものです。私個人としてはこういった展開を有る程度望んではいたのですが、それにしても服飾関係のテナントで殆ど占められてしまったのはザンネンです。こうでなくてはいけないのかしら・・わたしら貧乏人には敷居が高い、そういった思いがします。以前から河原町のオーパにあったヴィレッジ・バンガードという書籍と雑貨物販をしているマカ不思議なお店があるのですが、やっぱり以前オーパに立ち上がったのを見たときほどの楽しさがない。えーい、またかよ、っていう・・。この店は繁盛しているようでしたけれど。

いずれにせよ、この新風館、外観は以前の美観をしっかり継承しているのですが、内面は、なんか勝手に盛り上がってしまったような気がして仕方がない。少なくとも京都でなくてもいい施設じゃないですかね。洋館を再生するイメージは買いなのですが、ご当地の人が困惑するような、なんかぽっかりと浮かんだ異空間のように冷たく感じてしまうのは私だけなんですかねえ。

http://www.shin-puh-kan.com/index.html

2001/2/2

もうすぐ成人病検診である。有り難いことにニッポンちゅう国は国が半額、あと法人が半額なんか払ってくれたりして、けっこうな値段の検診とかも安心して受けられるわけだ。で、検診の前日から絶食したり、と定例的な行事もあるのだが、とりわけ慣れないのが便のサンプリングだ。昔はマッチ箱のようなものに割り箸でつまんで押し込み、ビニール袋に密封して登校、という経験は誰にもあるが、最近はマッチのような(レーサーをやっている元歌手のことではない)白い棒でクソをこねくりまわし、薬液の入れてある小さなボトルに押し込んでおしまい、となっているから便利である。しかし慣れない私は一本ずつ差し込まなければならないマッチ棒のようなやつを一度に押し込もうとしたところ棒がささってにっちもさっちもいかなくなってしまった。これで採便ができなかった、という失態を演じるようならば、兎に角予防医学センタの窓口のおばちゃんにしかられ「てめえのくそも取れなかった某サラリーマン」としてレッテルを貼られ「プレジデント」を読んでいるようなナイスミドルの仲間入りは二度と叶いそうになくなる。

尻を出したまま(ご婦人方には見せられぬ)ペンチをもちだし、健闘した結果、無事ボトルに収まり一安心。しかし「鮮度を保つため冷蔵庫等で保管して下さい」というおふれがきには毎度失神しそうになる。のりの佃煮となかよくそいつが鎮座ましましている状態を考えると凍り付いてしまう。バカ話で恐縮だが、しかしこれも健康でいらえる幸せをかみしめる機会となりうるのである。

2001/2/1

とりあえずお化粧直し完了。どうだった?

2001/1/21

早い時期にサイトの完全リニューアルを、と目論んではや二週間。なかなか大変な仕事である。

2001/1/3

優香ちゃんが何故癒し系なのか、良く分からないが、それはそうと正月が屁垂れだのなんだの行っている内に目出度くそれは行き過ぎてしまった。この正月の拾い物といえばちょっとはこのadobegoliveの利用法がちょっとは分かったことか。しかし重い上に、コマゴマとしたウインドウがいっぱい出てきて見苦しい。昔エディタが買えなくていっしょうけんめい手書きでHTMLを書いていたときも大層苦労していたが、GOLIVEの利用法を習得するのもそれなりにまた大変である。ひとついいところは、このGOLIVEのブラウザでウインドウズでのブラウザの表示がどんな案配になるか確認できるところ。きょうは懸案であった奥野センセイのホムペのフレームのリンクが見にくいところをちょっとばかり改善したぞ。ああ、鼻水と熱でしんどい。寝る。

2001/1/2

かくも目出度き21世紀の幕開けだ。テレビでは優香ちゃんが太鼓の素晴らしいバチ裁きを披露しているかと思えば、伏見稲荷では京都市内最高の初詣客で大賑わい。私は地元の向日神社で(他人の銭で)神籤を引くとこれがまた大吉と来たもんだ。「凶が出たらやだなぁ~」と後込みをしていたところ、まぁええやんかと友人が薦めてくれたもので、結局はこの調子で今年も皆様の厄介になりそうな予感。ま、気長に付き合ってやって下さいな。

で、21世紀記念の大規模なコンテンツ更新を目論んだのだが、12月があまりにも多忙だったので結局手つかず、白紙状態。ここもご勘弁願って、しばらくは20世紀をずるずると引きずってゴアンザ号は進んで行くのでありました。いやまったくもって御免、堪忍。