供養について

秋田の連続児童殺人事件について、思う
哀れ、不憫
容疑者の言っている事からすれば
成仏はし難いだろう、と思う
誰かが供養しなければならない
葬り去られた命
どんな無念であったろう
どれだけ涙を流していたのだろう
子は親を選べないと言う
切ない話である

加害者とて、
人としての心がけがなかっただけなのか、
選べるならば、
穏やかで豊かな人生であったほうが
よかったはずなのに、
どうしてこのようなことになったのだろう
この上周囲に憎しみを買うような事しか言えない

つらい話である
けれど、最後迄、じっと聞かなければならない
事件の先に、何があるのか、見つめなければならないと思う。
それも、せめてもの、ひとつの、供養になると思うのだ。


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