あちらと、こちらで

リビアへの軍事介入は心の痛む報道である。
我が国の震災は、自然災害と考えているのだが、
リビアでおこっている事は、人が巻き起こしているもの
巻き起こさなければ、巻き起こらない
それだけに、まき起こさずに済む事はできないのだろうか、と

トマホークで命を落とした「民間人」という方々
そもそも「軍人」と「民間人」と色分けなど出来るものか
それぞれに家族があり、家があり、夜になればベッドに入り、
朝になれば髭もそる。
死んでいるのは家族の一員であり、それも傭兵であったりするのだから、
フランスの仕掛けたもので、フランス語を話す傭兵が亡くなったり、
時には脅迫を受けたりして傭兵となっているものもあるそうなので、
そうなると、殺している側と、殺されている側の色分けもややこしい

それだけに、なんとかなろうものを、なんとも出来ない、
遠くの空の下だけに、これはどのようにもしがたい、
そんな話に聞こえる。
震災と同時に、気になる話である

そもそも、カダフィという人物がどんなものなのか、分からない
しゃべった事もないし、無論一緒に赤提灯で呑んだくれた事もない
なので、報道に垣間みる印象がすべてではないと考えるのが妥当である
彼の仕掛けた攻撃は、クレイジーだったかも知れないが、
民主化を名乗っている部族と比較してどんな立場なのか、分からない
喧嘩なんて、五分五分で、赤組、白組につく輩で、
もめ事が大事になるのはよくある話

リビアは、聞くところに寄ると、
否、聞くところによるものしかあり得ないのだが、
石油のお陰で豊かであり、費用なくして教育は受けられる国である
そんな中で国の指導者たるカダフィが資金力を持っているのは当然なのであるが
そのように聞くと、果たして、反政府派と言われる勢力と、どちらが正義
(んなもんあるかと言われたら済みません)
であるか、
これは、よく考えてみる必要がある
交通事故の責任は、0:100にはならない事を考えると、
一方的に喧嘩の片方に加担するのは、どうかなああ、と考えるに至る。

腰抜け、へたれな僕は、ニュースを見るたびに思う、
とにかく、可能性があるのなら、争いごとは避けていただきたい
僕たちは、避けようのない災害で命を落とす事のある存在で、
それだけに、避けようのまだある事柄について、出来る限り回避を心がける
そういったお互いの努力が出来るように(お互いの事情はあるにせよ)
精一杯努力しなくてはならないな、と思うのである。


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