摂取不捨

きょう、京都銀行のATMに立ち寄ると
操作面の両脇にプラスチックの
半透明のパーテイションが立ち上がっていた
UFJ盗撮事件の影響かな
それにしても早い対応!グー!
手許が隠れて、少々窮屈だけど、
ちょっと安心感が得られる。
ワレも、教訓を、活かしましょうぞ。

帰り道、電車の狭い車内、
いろいろな事があります。
きょうは、僕のあとに乗り込んだ、
若いお母さんと子供ふたり。
子供ふたりを座らせて、お母さんは立って。
子供ふたりは、僕の横に座って、
というより、きちんと、行儀よく座るしつけは
全然出来ていないと見る。
周囲も構わず、大騒ぎ
お母さんは、前を向いて座りなさい
怒るよ、もう、と
隣に座る僕には、ごめんなさい、と謝りながら
スーツのズボンにくつが被ってるちゅうの。
完全にお母さんの言葉は、耳にない様子。
完全に、子供になめられている、か、
子供を満足に叱れない親が多いですよねええ。
思いませんか。

飼い犬がいわゆるダメ犬になっている原因は
飼い主と、飼い犬の主従の関係がちゃんと認識出来ていないために起こる
という話を聞きます。
それを思い出しました。
その対象に叱るためでなく、その場を繕うために叱る、
それほど、周囲を馬鹿にした話はないのです。
以前、会合で、某女子高の生徒指導の先生と同席したときに、
そんな話になりまして、
「叱るときは、真剣に叱らなければならないんです。
さもなければ、叱られている側は、何に対して叱られているのか
分からなくなってしまう」

摂取不捨、という言葉があります。
一度、サーチエンジンでどうぞ。
間違いなく、あなたを救いましょうぞ、
という事になったとき、
慢心がないように、
救う立場のものは、間違いなくそれを実行するために
厳しさを心構えとするものです。
救われて、叱られる立場の子供たちは、
有り難く、真剣に、心を澄まして
その言葉を受け入れるわけなのです。

いかがなものでしょうか。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください